2007年02月22日
なぜ、子供達は飛び降り、首を吊り、投身して己の命を奪うのか?
『日本の子どもたち』
というサイトから自殺をした子供たちの遺書をピックアップしてみました。
●「うそをついてごめんね」「もういじめないでね。好きなマンガの本を棺の中に入れてれて下さい」 ●「がんばれえ、みんな。ぼくはこれがげんかいです」 ●「もう生きて行く自信をなくした」「もっと青春したかったのに」 ●「みんなから白い目で見られ、生きていくには少しつらすぎる」 ●「ぼくはときたまいじめられるし、学校に行くのがはずかしいから死に行きます。人間生活なんかもういやだ」 ●「私はあなたたちを許さない」「もう、だれもいじめないで」 ●「私は学校で友達から無視されています。原因はよくわかりません。ただわかることは、私が悪いらしいのです。だから、あやまってみました。でもゆるしてくれはいないようです。」 ●「私が全部悪いんです。もう生きていく資格がないから死にます。」などなど・・・・その他の子供たちの叫びである遺書の言葉達は後段で記載してあります。
上記の遺書・遺言から解ることは、全てではないが、
1)謝罪やいじめている相手への思い(=期待?)や時には、感謝の気持ちを残して、命を絶っていく子供たちがいる。
2)徹底的に自虐的になって己を追い込んでいる。
3)いじめは、上履きを隠すなどの実害でなく、無視されるという共認充足を直撃し、破壊する言動(排他共認の形成)であること。
4)異常に回りに気を使う子供たちが多い。死ぬ間際でも迷惑をかけないことを配慮している。
5)子供たちの中にルールがないから、いじめられるといやなので、傍観している友達も、いじめに加担するので、周りから全てに存在否定されるという思いになり、窮地に追いやられる。(表層的な仲間関係に終始している)
『なぜ、子供達は飛び降り、首を吊り、投身して己の命を奪うのだろうか?』
遺言・遺書の続きです。
●「言葉でのいじめを受けた」「望みどおり消えてやる」
●「おれは根性なしです。弱すぎる人間です」
●「先パイからのイジメみたいなのには、もーたえられないのよ」
●「無視された」「避けられている」「学校へ行くのがおもしろくない」
●「(いじめを)がまんしていたけども、やっぱりだめです」
●「あの4人にいじめられていた」「ぼうりょくではないけど ぼうりょくよりも ひさんだった」
●「ごめんなさい…疲れました」
●「部活に行きたくない」「部活で友達にはじかれた」
●「私をいじめた多くの方々へ 担任の先生へ おうらみします」
●「世の中がいやになった。先に休みます」
●「あいつらは絶対許さない。復讐してやる」
●「僕はもう疲れました」
●「死にたい・・・なんで人間はこんなにも弱いのだろう」「ただ傷が増えていくばかりだった」
●「肉体的にも、精神的にも疲れ果てたので、先に死なせてもらいます。最大の理由はA子のこと。まだムカツクよ。」「ひきょう者でごめん。だけど、もうたえられないんだよね。」
●「いじめられてもう生きていけない」「いじめが原因です。さようなら」
●「私はイジメにあっています」「学校で自殺します。気づいてくれない先生がにくい」
●「クラスでは「貧乏」や「泥棒」と言う声がたえず響いていて、その時は悲しい気持ちになります。それがもう3年間も続いていて、もうあきれています」
●「生きているのがこわいのです。あいつらは僕の人生そのものをうばっていきました。」
●「これで議長をやめられる」
子供たちにとっては、いじめの課題解決は目先ではない。しかし、一旦、その密室性から一歩抜き出ることで、解決することもある。私たち親から見たら、目先課題だと捉えられるものも、子供たちので世界では生死を分かつ、生存を直結するような圧力となっているのはなんでだろう。
仲間第一の絶対観念化から、脅迫めいた表層仲間空間が形成されているように思います。そこは、秩序のない、無法地帯の絶対逃避できない空間で、過保護に育った子供たちは、従うしか方法がないと思い込み、先生や親たちの「仲間達と上手くやりなさい」というお題目が更に、彼らを閉塞に陥れる。こんなに苦しんでも誰もわからない状況になると、全面閉塞→自殺なのだろうと思うが・・・
しかし、なんか足りない。それでも、自殺する前に、死に至る前に、子供たちには、密室を飛び出して解決できる方法がいっぱいある。ネットでも投書でもいじめ撲滅テレホンなるものでも、携帯でも、転校、引きこもり、登校拒否、退学などなど・・・・
死に行く側にも、やはり何かがあると思わざるを得ない。実現思考の健全な子供であれば、上記のように、いじめられても解決してゆくだろう。しかしそれができない。人間関係のちょっとした不安を大きく捉えてしまう親和不全の問題なのだと思います。それは密室家庭の中の子供と親の育児関係、教育を切開することで見えてくるのだと思います。次回はそこを追及したいと思います。
きっと、根本には、男女の性関係(一夫一婦制)が産む自己正当化の観念の問題が実は大きな問題となっている気がします。
投稿者 2310 : 12:30 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月21日
「仲間絶対」の意味~なんで些細なことで死んでしまうのか?

tennsi21さん、saitoさんの若い頃の共認充足の漂う“遊び”体験、yukarinさんの深刻な“いじめ”体験、そして、hoop200さんの分析を受け、一体昔と今の“いじめ”は何が違うのか?について考えてみました。
■昔と今のいじめの違い(現象事実)
◎昔のいじめとは、“遊び”の一貫であり、いかにみんなで楽しく遊ぶかが課題だった。
・いじめると言っても、あくまでも遊びだから、「金をとる」とか暴力でけがをさせる=相手を傷つけることはしなかった。(誤って傷つけた場合は気まずい思い)
・その背景には、さすがに犯罪はいけないという、当然の規範意識もあった。(社会=大人世界ルール)また、相手の気持ちを察する共認回路もちゃんと作動していた。
・「いかに楽しく遊ぶか?」という課題を通じ、暗黙に子供世界のルールを形成。(例えば、“チクリ”は子供世界のルール違反)
・また、大人(親や先生)の圧力(→怖い)もあった。
・そして、いじめの中身も、ある種の原始的な力の序列に従っており、要するに、腕力のあるガキ大将が、弱いものや貧乏な子などをいじめる、あるいは逆に裕福であるとか成績が良い子をいじめるなど、理由は単純明快なもので、いじめる側もされる側も、ある意味すっきりしていた。
・・・だから、いじめも含め、当時の子供世界は共認充足に充ちていた。(今も良き昔話としてなつかしく語り合える)
■それに対し、今のいじめはどうか?
・「自己中化」が進行し、金銭であれ、暴力であれ、相手を傷つけることも平気。「日本の子どもたち」からは1980年代より凶悪化、非人間化している様が窺える)
・その背景には、私権圧力の衰弱による規範の崩壊がある。(社会=大人世界のルール崩壊)
・密室過程≒母親の囲い込み、ゲーム等個的な遊びの拡大、遊び環境の悪化(遊び場減少、犯罪・変質者の増加)などにより、子供世界の課題であった“遊び”が衰退。
⇒みんなで規範(ルール)を作る経験ができなくなった。
・また、今や“答えを出せない”大人の力の基盤は衰弱し、子供に対する圧力足りえなくなった。(それどころか過保護化→自己中化の温床に)
・そして、いじめの中身はと言えば、力があるとか、頭がイイとか、カッコイイとか、序列原理時代ならいじめる側になっただあろう要素も、“目立つ”という一点で、逆にいじめの対象になり得る。当然従来からの貧乏や背が低い、黒い、暗い、自己中・・・等も“目立つ”という意味でいじめの理由となる可能性をもっており、基準は非常に曖昧。結果、“極力目立ったり孤立しないよう周りに気を遣い、周りに合せる”という意識(=期待封鎖)が生まれる。
■この違いの本質は何か?
◎ポイントは、「課題、規範(ルール)、評価軸の喪失」及び「自己中化」
昔のいじめは「遊び」というみんなの“課題”であり(課題を共有しているから基本的にお互いに肯定視)、かついじめの原因となる「序列」=“評価軸”は、明快かつ受け止めるしかない現実。
また、例えば「犯罪はダメ」という“大人世界のルール”も、みんなで作り出す“子供世界のルール”も明快であるから、それに従って行動すれば良いので迷いはない。
つまり、“課題”も“規範”も“評価”も明快であり、この遊び世界の中では“いじめる側”“いじめられる側”も一種の“役割”であるため、(もちろんいじめられるのは嫌だろうが)本質的に不安は無かったと思われる。
しかし、現在は、上記のように、“遊びという課題”から遠ざけられ、従って“子供世界のルール”を知らず、“大人世界のルール”も無い収束不全状態。しかも私権序列に代わる評価軸もない。自己中化が進んでいるから相手の気持ちもよくわからない・・・つまり、同化すべき対象が一切ない。
かつ心底では私権の衰弱⇒本源収束・仲間収束しはじめている。
・・・そんな不安定な子供達が学校という空間に強制的に閉じ込められたらどうなるか?
各自の意識としては、「自分の立ち位置(=役割)どこなのか?」「自分は一体どう思われているのか?」果ては「自分の存在理由は?」・・・と、周りの評価が気になって仕方ない・・・つまり、周り=閉じられた仲間空間での評価圧力が絶対化してゆく。こうして、ことさら「仲間が大事」という表層的な意識が作り出されるが、本質は「自分発」の不安意識が原点であり、もはや「仲間絶対の“強制圧力”」と化している。
そんな中で、潜在的な共認欠乏(自分達で何かを作り出したい)によって生み出されたのが、“遊びに代わる課題”としての「いじめ」なのではないだろうか?
「仲間が絶対」だから、自分が下手に目立ってみんな課題であるいじめる側からはじかれぬよう、絶えず周りに気を遣い(→すぐ疲れる)、可愛そうだと思いつつもいじめ側に参加する。(そもそも自分を守るためにいじめるわけだから、自分発であり、本当に可愛そうと思っているかは疑わしい)
はじめは嫌々かもしれないが、「いじめ」という課題を共認した以上、共認圧力が作用し、かつて遊びを盛り上げたように、どんどんいじめもエスカレートしてゆく。(集団の目的のためにとことん排他的に・・・自己中集団化)
そして、究極のいじめとは、相手が最も嫌なこと・・・つまり、絶対化した仲間共認の輪から追い出すこと=“シカト”すること。
「日本の子どもたち」によれば、最近は「からかわれた」「通せんぼされた」「ズボンを下ろされた」・・・その程度で?それっていじめ?といった些細なことで自殺していっている。
しかし、上記のように「仲間」が観念的に絶対化し、強制圧力化しているとすれば、どんなに些細なことでも、仲間空間で否定され、はじかれることは、存在を否定されるに等しいのではないかと思えてくる。
そういった意味で、今子供達が心底求めているのは、いじめに代わる真っ当な課題であり、それこそがいじめを無くしてゆく答えなのだと思う。
(kota)
投稿者 kota : 01:44 | コメント (6) | トラックバック
2007年02月19日
いじめを考える~今の「子供世界」~

こんにちは
前回、前回と、少し上の世代の方からリアルなお話が聞けましたね~
「私が小さかった頃とは全然ちがうし・・・
」などと思いながら読んでました
というわけで今回は、私達の世代(ちなみに今26歳です
)はどうだったのか?を書いてみたいと思います。
(出来るだけリアルに書きたいと思います
が・・・暗い気分になったらごめんなさいっ
)
っとその前にっ
ランキングに参加してます
ぽちっとヨロシクお願いします
少し長くなりますが、ご了承くださいませ
まず、私達の世代にとって『仲間』とは、一体なんだったんだろう・・・
?
上の世代の方の話を聞くと、同じ『仲間』でも捉え方が全く違う事に気付いたんです
私達にとって仲間とは、『
居なくてはならない存在
』。
しかしそれは、どうやら昔も同じらしい
じゃあ何が違うのか?
仲間がいないと、自分が存在出来ない。
いや、決してオーバーな言い方をしてるんじゃなくて
、ホントなんです
何がコワイって、一人になって孤立してしまうことが一番コワイ
だから、その不安を解消するために、グループを見付けて無理やりそこに入り、自分の居場所を確保するんです
特に、小学校から中学校に進学した時に顕著に現れるんですが、小学校まではほとんど無かった【グループ
】が、中学では発生します。
そこに入れなかった子は、大体がいじめのターゲットになってしまう・・・
それが分かってるから、進学すると必死にグループを見付け、無理やりにでもそこに入っていました
だけど、自分の存在不安発の仲間意識は、「いつ自分が一人になるか分からない」という想いが常に付きまといます。
だから、必然的に表層的な付き合いになってしまう。
「どうすれば友達に気に入られるか」。意識の大半
はここに向かいます。
波風立たせず、ただひたすらお互い調子を合わせ、ひたすら気を使い合うだけの関係・・・
(きっと、友達同士の信頼関係は殆どなかったように思います)
どんなに楽しくなくても、義務教育なので学校には行かなきゃいけない。
学校に居る間は、一緒にいる仲間が必要。
その為(自分を守るため)だけの友達作り。
当然、充足など得られるわけもありません
だから学校が終わると、もう気を使わずに済むので、とても気が楽になるんです。
私達の世代にとって【仲間】とはまさに、自分の存在を証明するようなモノでした。
今の子供達からも同じモノ感じるし、むしろこの色彩はより濃くなってる印象を受けます。
今の子供達の自殺理由を見てみると、「こんな些細なことで!?
」と驚くような事がたくさんあります。だけど、仲間=自分の存在を証明する存在だとしたら、
【仲間から外される】=【一人になる】=【死】という構造が、大げさに見えますが成り立ってしまうのでは?と思いました。
だとしたらこの心理は、苛められる側に限らず、実は苛める側も同じなんだという所が、着目点のように思います。
今のいじめる側の人数は、
>●1980年~2000年代には、相変わらず、2~5人のグループが加害者となるケースがあるが、5人~10人以上の加害者グループが増加傾向にある。
(
ブログ
『家庭を聖域にしてはいけない』の『「日本のこどもたち」からみえる子ども達のいじめの実態』より抜粋)
にあるように、複数が殆ど。(だから“いじめ”になるんでしょうけどね)
その複数のメンバー全員が、苛められる子に恨みを持っているのか?というと、そうではないんですよね。
主犯格を除く殆どが、“嫌々”の場合が多い
ナゼ嫌々いじめに付き合うのでしょう??
彼ら(苛める側)も、一人になるのがコワイんです。だから、一人にならないようにするために、苛めに荷担するのです。
自分を守るためのイジメ・・・
上記の感覚は、実は個人的にすごく分かるんですが、上の世代の方に話すと、「信じられない!
」という反応が返ってきました
私達の世代も大概ひどかったですが、『今の日本のこどもたち』のサイトを見ていると、深刻さはもう一歩先に進んでる状況のような気がします。

*:・°★, 。・:*:・ °☆・: *:・°★,。,*:・°★, 。・:*:・ °☆・: *:
どうでしたか~
世代が違うと、ここまで違うんだぁ~ということが、伝わってくれれば幸いです
長い文章になってしまいましたが、ここまで読んでくれてありがとです
(BY yukarin
)
投稿者 yukarin : 13:00 | コメント (2) | トラックバック
2007年02月18日
いじめを考える。 ~昔の「子ども世界」~70年代
>遊びという明確な課題があって仲間意識が生まれていたのだと思います。それに廻りには評価を与える仲間がいたから、大人の世界とは違う、手応えのある子供の世界が存在していたのだとおもいます。
昔はどうだったか…?いじめに関するサイト「日本の子どもたち」http://www.jca.apc.org/praca/takeda/index.htmlを見ながら、自分の昔の頃を考えてみました。
正確には75年頃が中学生だったので、その頃のことになりますが、正直深刻な「いじめ」の記憶はありません。しかし、よくよく思い出してみると…。
その頃は毎日遊んでばかりいました。小学校の級友は単純に「遊び仲間」で、学校の授業の合間や学校が終わった近所の遊び場で、毎日お腹が減って、どうしても晩御飯を食べなければならなくなる時間まで、いつもクラスの友達10数人と遊び続けていました。思い返せば、そうやって遊んでいる中に「いじめ」らしきものもありました。
子どもと言えど、何となく「序列」らしきものが存在し、力の強いやつ、運動の得意なやつは常に上位に位置して、何となくトロい奴、すぐ泣く奴などは、自然といつもからかわれたり、服を汚されたり、水溜りに落とされたり、物を隠されたり、いろいろしていたことを思い出しました。
この序列(順位)は、一度決まってしまうと殆ど変わることなく、「いじめ」られる奴は来る日も来る日も、何らかの悪さを受けていました。草野球をやっているかと思えば、いつの間にか泥のボールをぶつけられていたり、そうしたことを一通りやってしまうと又野球を始めたり…。時々度が過ぎて、泣いて帰ったそのいじめられっ子が、親や先生にチクッたり、そのことで、又教室の後ろの方で「袋」にしてみたり…。
でもそれは、当時の子どもたちにとって、「いじめ」という意識ではなかった様に思います(こう書いてしまうと単なる自己正当化に聞こえてしまいますが、敢えてもう少し考えて見ます)。
全て友達との遊びの中で起こること、結局は「遊び仲間」でしたし、全てが「子どもの世界」の出来事で終われていました。ただ、そこには、金を巻き上げたり、骨を折るなどの重い怪我を負わせることは、いわゆる「シャレにならない」のでしないようにしていたと思います。そうした意味で、「いじめではなく遊びだった」という感覚が強くあります。
先のサイトでも「(いじめを)ケンカや遊びと混同しないでください。」と書かれています。混同するのではなく、何が違うのかをはっきりさせるべきだと思います。少なくとも75年より以前の子どもたちは、普通に学校も友達との遊びも楽しかったのだと思います。
さて、一体今のいじめと何が違うのでしょう
今のいじめ(というより、そうした問題を孕む子どもたちの関係)に「楽しさ」など微塵もありません。自殺までが当たり前になってきたのだから当然です。要するに「遊びでは済まない」「遊びとは全く違う」のです。でも、遊んでばかりいてそれが楽しかった昔の子どもたちと、今の子どもたちとでは、本当に何が違うのでしょうか
そのことを考えるために、当時がどういう時代だったか、簡単に押えて一旦、終わりにしたいと思います。
70年以前に高度経済成長を経験した日本は、現実に飢え死にするほどの貧困は既になくなっていました。多少の格差や貧困は残るものの、テレビがカラーになり、ステレオ装置が来たり、クーラーが据えつけられ、自家用車が手に入るほどに豊かだったと言えます。その様な物欲が実現していく様は、子どもたちにとっても学歴→より豊かな生活を意識させはしましたが、それとて高校受験を迎える頃のこと、それ以前は先の「子どもの世界」がただ広がっていて、将来の豊かさへのイメージに大きな違和感は感じなかった、と言えます。
そしてもっとも感じることは、そうした世界観がどの子にも或いは親にも同じように広がっていたであろうと言うことです。そうした中、子どもたちは、一日をどう過ごすか迷うことは有りませんでした。多少の諍いはあっても、又明日も同じ仲間たちで暗くなるまで遊ぶだけだった、それが一番「楽しかった」のです。
投稿者 saito : 01:47 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月17日
昔の仲間意識は明確な課題から生まれていた
<「仲間外れ」はいじめ、文科省が定義を見直し
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070119ic21.htm
要は仲間はずれはいじめとする。本人がいじめと感じればいじめと解釈する。
私は違和感を感じました。「いじめ=仲間はずれ」と定義してもそれは結果であってそれ以前の段階に問題があるように思います。
私は1960年代に小学生時代を過ごしました。当時はガキ大将と言われた彼がいました。
少年ジャンプで「男一匹ガキ大将」という漫画の連載がはじまる少し前のことです。
彼のもとにはNO2NO3NO4・・・・・・と言う序列ができていて、時々みんなの見ている前でたいまん勝負がありました。
勝負は、逃げたり泣いたほうが負けでした。彼はむしろ過度な喧嘩を止めていました。
私は彼の仲間で、人の家の柿を取ったり、教室をバリケードで封鎖したり、古いトンネルを探検したり、線路の上にクギを置いたり、いま考えれば犯罪すれすれ(?)でしたが、不思議とお金を取るなどの明確な犯罪行為まではしませんでした。
下級生と女はいじめの対象ではなく、むしろ守る対象であり、いじめるのは成績が一番であるとか、裕福であるとかだいたい転校生が対象でした。当時の私たちのとって彼はボスで何をされるかわからない恐怖の対象ではなく、安心感を抱く対象だったように思います。
いたずらはだいたいみんなに触れ廻って自慢したり、学校にクレームが入ったりしてするのですぐに発覚します。
そのあとはいつもの先生にきつく絞られ、真っ赤になって反省していた彼の顔はいまでも思い出されます。
彼はその後、悪の道を貫いたというか本物のやくざになってしまいましたが、当時を思い出すと仲間意識が大事というより遊びという課題意識の方が、より強かったように思います。だから遊びに水を差すつまらない奴(これはいつも同じ奴でしたが)は、いじめの対象となり、ぼこぼこにされるのです。
いまから考えるとつまらないことばかりやりましたが、当時はそれが一番の遊び(課題)でそれに夢中でした。
さらにそのことをみんなが評価してくれるのが、喜びでした。逆に弱いものいじめのようなことはみんなに評価されないのでそれはつまらないことだと考えていたのだと思います。
遊びという明確な課題があって仲間意識が生まれていたのだと思います。それに廻りには評価を与える仲間がいたから、大人の世界とは違う、手応えのある子供の世界が存在していたのだとおもいます。tennsi21
投稿者 tennsi21 : 17:34 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月10日
『(いじめられていることを)大人に言えない理由は?』
「日本の子どもたち」に
『いじめられているということを子供たちが大人に言えない理由』
が記載されています。
いじめの事例や、上記サイトの管理人の武田氏の分析を見ると
いままでの価値観がものすごく子供たちを追い込んでいる!
ことに気付きます。
↑↑結構、こういう言葉を簡単に発することが、子供たちをさらに苦しめてしまうように思いますが・・・・
■「友達となかよくしなさい」
■「いじめる側にも理由がある」
■「いじめられても、強くなりなさい。頑張りなさい」
■「心配をかけることはしない」
■「迷惑をかけることはしない」
■「怒られるようなことはしない」
■「人のことをよく考えなさい」
■「やられたらやり返せ」
などなど・・・・
私たち親は通常、よく、簡単に発信してしまいがちな言葉達。その簡単な発信が、仲間第一の子供の意識と大きくずれていて、彼らを死に追いやってしまったり、殺人に導いてしまっている。
無論、私たちの言葉で育った、子供たち。
私たちの言葉や価値観は、狂っていると認識すべきだと思いました。
それが自己中の子供たちを生み出し、子供世界の秩序と規範と共感を破壊していることを認識して、塗り替えていかなければならないのでは?と思っていますが・・・・
いじめを大人に言えない理由)と題して記載があります。
子どもはいじめられても、なかなか大人に言いたがらない。けれど私たち大人は果たして、子どもたちに「HELP」と言える環境を用意しているだろうか。
信頼できる大人がいない。いい子であることを求めたり、弱いことを恥とする、理不尽なことにもがまんを強いる社会のなかで、子どもたちは助けを求める声さえあげられずにいる。・大人に言っても解決しないとあきらめ。
・チクれば、いじめが更にひどくなる。
・告げ口することを恥と考える。
・いじめられる側にも非がある、それなりの理由があるという周囲の考えが、いじめられている人間を追い込んでいる。自分自身が悪いから、弱いからと自罰的になった子どもは、いじめられても仕方ないと考え、助けを求めない。
・いじめられている弱い人間だと親にも知られたくない。
・お前にも悪いところがあると言われたくない。叱られたり、責められたりしたくない。
・脅されていたり、弱みを握られていて、打ち明けられない。
・誰も、自分のことを理解してくれるとは思えない。
・親に心配をかけたくない。
・自分のことは自分で解決しなければと思っている。ひとに頼りたくない。
・深く心を傷つけられて、だれが敵か味方かわからなくなっている。混乱のなかで、自分を心配する親でさえも、痛い傷口に触れてくる、自分を傷つけるものに思えてくる。
■私の意見
大人たちの固定観念が、子ども達を苦しめているということを痛感しました。
「勉強しなさい」「友達と仲良くしなさい」「相手のことを考えなさい」「強くなれ」などという観念
は、実は、今の子供世界の共感関係を改善するのに殆ど、全く役に立っていないことが解ります。
私たちの生きてきた私権社会の価値観は、彼らの出口と可能性を封鎖して、なおかつ、仲間第一の価値観に縛り付けられた子供たちは、ちょっとしたことで、自らの死を選ぶほどの圧力になっているように思いました。
また、親たちや教師達や警察や裁判所、カウンセラーの大人たちがいじめの当事者として、出てくれば出てくるほど、事実が解らなくなり、事態が悪化していくことにも注目すべきです。
大人たち、私たちのできることって?いったいなんだろう?
目先のいじめに視点がある限り、変わらないように思います。
それは、社会全体の共感不全、共認不全、秩序崩壊から発生する大人たちの勝手な価値判断が、いじめの原因とすれば、私たちのできることは、私権社会の価値観を全て捨てて、新しいものの見方=事実を見極めることではないだろうか?と思い初めてきました。
投稿者 2310 : 12:30 | コメント (3) | トラックバック
2007年01月30日
いじめの事例と分析(その2:中学校編)
昨日報告した、この抗争?は中学校に進学しても止まらず、やがていじめ問題に発展します。
H子は、中学入学直後から、「M子は小学校の時にいじめをしていた」と流言を始める。この頃から、M子の唯一の友達だったS子に近づき、「M子がS子のことを○○と言ってたよ」等と吹き込み、M子からS子は離れて行ってしまう。
ここから、M子に対する「イジメ」が始まる。H子を中心に同じ小学校出身の生徒達が、すれ違う毎に「うざい」「死んだら」「きもい」とつぶやき、たむろしている前をM子が通ると聞こえるように同様の言葉を言い合う。
(表向きにはM子のことじゃないよ~ってな感じで)
ある日、その中にS子がいるのを見て、ついにM子は「学校行きたくない」と両親に訴えた。
⇒イジメの完成!
このM子の父親が私です。
ここに至るまでに、M子から話を聞いておおよそ把握していた家内が、先生に相談していたが埒が明かず、ついに、本人が「もう学校行きたくない!」と言い始めました。
⇒不登校完成
先生は、一人づつ呼んで事情を聞いたり、手は尽くしてくれ、「M子に皆からそれぞれ誤らせましたから」等と報告してくれていたようですがこの結果です。
私は、先生に「皆さんを呼んでください、一緒にお話ししましょう」とイジメた生徒達と親御さんを呼んでいただきました。
その場で、H子は泣くばかりで殆ど話が出来ず、その他の子は「もう言いません、ごめんなさい」と親に促されて謝罪。
これでは、何も変わらないと感じた私は、「H子さんが何も話してくれないと、何も解らないんだよ」「H子さんの影響で皆が反応しているんじゃないかな?」と続けました。
生徒達は頷く。
この様子を見て、H子の父親が話し始めます。
H子父:「どうも君の影響は大きいみたいだね」「どうだ?知っていたかい?」
H子:「・・・・・・」
H子父:「この事は君の責任において理解しないといけない」「これからどうする?」
H子:しばしの間を空けた後「わかりました」
その後半年ほど過ぎました。あからさまなイジメは表出しなくなり、M子は部活の仲間に支えられて元気になっています。M子は、「H子達は、ヤバイから手を出さないって感じ、もう関係無いけどね」と言い放つ。
これで本当に良かったのかな?しばしの不安を抱えつつ見守っています。
随分長くなりましたが、この出来事の中で、明らかになった事が幾つかあります。
原因1:個人主義の突き放し系父親
H子の父親には強い違和感を感じました。「君の責任において」「どうする?」とまるで他人と話しているようでした。H子はこれまで随分と寂しい思いをして育ってきたのでしょう。
個人主義の親
⇒子供は人一倍「居場所=自分の仲間を欲する」
⇒居場所確保のために「イジメ」に走る
原因2:教師の個別対応
小学校でも、中学校でも、先生の対応は共通して生徒一人一人に向き合う。
結果、小学校では先生がイジメの原因にもなっています。中学校では無力でした。
このことからイジメを当事者だけの問題と捉えている以上は何も改善しない事が分かる。
ましてや先生が自分で何とかしようとしても無理。
みんなで考えて取り組んで行くしかない
⇒関係する生徒みんなで考える
⇒クラスみんなで考える
⇒学校みんなで考える
⇒親も入ってみんなで考える
⇒⇒みんなの課題にする=一人の問題なんか無い
原因3:低年齢での仲間教育が大切。
この事例では、まず、小学校でH子が転校してきた時点で、転校生をクラスの仲間としてどう取り込んでいくか?この課題が欠落している。
⇒「みんなでどうしていくか?」といった仲間教育を低年齢から子供たちに与える事が必要なのだと思います。
整理してみた原因を通じて言える事は、
「みんなで考えて、決めて、やって見て、上手くいかなかったらまた考えてみる」
生徒たちに、この経験をさせながら、教師も一緒に学んでいく。
今、教育現場には「仲間教育」「共同性の再生」が必要とされていると思います。
投稿者 gokuu : 18:39 | コメント (4) | トラックバック
2007年01月29日
いじめの事例と分析(その1:小学校編)

イジメに関するデータや事件記事などは目にする事が出来るのですが、実情は当事者で無ければわかりません。
身近に、小学校から中学校に渡るイジメの問題が起きて、向き合った経験から、その報告と簡単な分析を紹介します。
神奈川県のKJ小学校での事例です。
H子は小4の時に転校してきました。成績と運動がそこそこ出来る方と言う以外にこれと言って目立つこともない子です(どちらかと言うと地味系)。
M子は身体も大きく、成績も良く、先生からも褒められる事が多くどちらかと言うと目立つ子。当時、友達も多かった。
H子は、中々友達の輪に入り込めずに静かにしていた。M子が「一緒にやろうよ」と誘いかけて時折仲間に加わるものの、仲間とは馴染まずにいた。
小5の時にクラス替えがあったが、二人は同じクラスになり、ここで一つの事件が起きる。
クラスの中に乱暴な男子生徒Kが一人登場。
女子男子問わずに乱暴する。意地悪な事も言う。
次第に、クラスののけ者的存在になってしまう。
M子を含むクラスの女子5人くらいでKの乱暴をなじりあっているところにH子が、通りがかりこれを耳にする。
数日後、Kの母親が学校に「うちの子がいじめられて、仲間外れされている」
と怒鳴り込んで来る。
担任教師が、関連しそうな生徒数人を一人ずつ呼び出して、ヒアリングを行なった。
この中で、H子は「M子が、Kを仲間ハズレにしようと言っていたと担任に報告」
担任はその後、他の生徒達に「M子が仲間外れにしようって言っていたの?」と聞き廻る。生徒達は、「聞いていない」、「はい」、無回答等と様々な反応をした。
やがて担任の判断は、「M子が中心であるらしい」との結論に至る。
これまでは殆ど無かったのに、担任から厳しく注意される事が多くなり、その担任の反応や、周りのみんなの雰囲気によって、M子はそれまでの快活さに陰りが現れ始める。
この頃から、H子がしきりにM子の仲良かった生徒達を自宅に呼んだり、M子の目の前でM子以外の子を誘ったり、M子をのけ者にすることをネタにする様に快活になっていく。
小6の卒業式前には、H子は、元M子の仲良かった子達の中心にいる様になる。逆に、M子は、その中の一人S子だけが一緒にいられる友達となってしまった。
転校してきて寂しいH子が、自分にとって安心な仲間空間を獲得。ノホホンとしていたM子達の仲間関係を解体。その中心的な立場にいたM子が半仲間外れ状態となった。
今時の小学校では、よくある現象なのでしょうか?
なんか「子供らしくないな~」そして、なんでこんな事になる?
と感じませんか?
明日は、その後中学校に上がってどうなっていくかの報告と、小中学校と続いたこのいじめ事例を切ってみます。
投稿者 gokuu : 18:50 | コメント (7) | トラックバック
2007年01月26日
イマドキの高校生のなりたい職業って?
高校生にとっての将来なりたい職業は、時代とともにどのように変化してきたのでしょうか。
ベネッセ「チャイルド・リサーチ」より、1980年、1992年、2003年における高校生のなりたい職業の調査によれば・・・
2003年調査で選択率の高い職業は、
①地方公務員:29.1%
②小学校の先生:20.4%
③医師:15.3%
の順となっており、逆に選択率の低い職業は、
①マンガ家:5.5%
②腕のよい大工:6.5%
③新聞記者:8.4%
という結果になっています。
ベネッセによれば全体の傾向として「安定志向が強い」と分析されていますが、一流企業の社員が15.0%(4位)となっていることからしても、確かにその傾向はあるでしょう。
しかしそれだけではなさそうです。1位の地方公務員は1980年でも26.9%(2位)の選択率であったことを考えると、その他の固有の職業が軒並み選択率を落としているだけということが伺えます。裏を返せば、高校生にとって
特になりたいと思う職業がなくなった
ということの現われではないでしょうか。
次に注目すべきは、学者やマスコミ関係の凋落です。
①大学教授-1980年:26.1%→1992年:16.1%→2003年:8.7%
②新聞記者-1980年:23.8%→1992年:15.2%→2003年:8.4%
③アナウンサー-1980年:20.4%→1992年:18.9%→2003年:11.7%
1980年は様々な職業が選択されており、上記の職業が特に人気が高かったわけではありませんが、1992年→2003年に見られる凋落ぶりは興味深いものがあります。高校生にとって上記職業が魅力を失った理由は何でしょうか?
家庭の崩壊や学校の崩壊をはじめ、社会不全の増大を体感している高校生にとって、テレビをつければいつも出ている大学の教授やマスコミは、危機感を煽るだけでまともに答えを出すことができない、社会にとって役に立たない存在であることを徐々に感じ取っているのではないでしょうか。
一昔前であれば憧れ
の職業であった学者やマスコミですが、今や社会不全が増大すればするほど、何の役にも立たないことが透けて見えてきたことで、もはや高校生にとっても可能性を感じられない存在になりつつあるといえるでしょう。
投稿者 hiroaki : 18:35 | コメント (4) | トラックバック
2007年01月22日
小中学生と高校生のいじめ事件は何が違うの?
小中学校の事例に繋げて高校生(大学生)の事例を分析したいと思います。
高校生のいじめ事件は、小中学生時代の事例のそれと比べ、各年代とも部活や学生寮が舞台となることが多いのが特徴的です。さらにいじめの原因も比較的はっきりしています。
子供に関する事件・事故一覧より年代別の代表例を抜粋してみました。
《1980年代》
□いじめ自殺:1980/9/4 埼玉県川越市で工業高校の男子生徒(高1)が、学校で禁止されているパーマを注意され、14階建てマンションから飛び降り自殺。非行グループの仲間に引き入れられ、「カンパ」を強要されていたことが調査で判明。□暴行殺人:1983/8/29 京都府京都市の花園大学の応援団の夏合宿で、男子部員(大1・18)が、上級生から「気合いを入れる」と竹刀や素手で殴られ脳圧迫のため死亡。
□いじめ自殺:1985/8/26 三重県一志郡白山町の全寮制高校・私立日生学園第二高校の剣道部の多田武秀くん(高1・15)が、いじめやしごきを苦に合宿中、他の部員たちが仮眠をとっている間に本館屋上の時計塔窓から飛び降り自殺。
《1990年代》
□ いじめ退学:埼玉県大宮市の私立埼玉栄高校の相撲部の寮で、平塚秀樹くん(高2・16)が、同級生の部員(高2)らに就寝中ライターで手足に火をつけられたり、現金を無理やりとられるなどのいじめを繰り返し受け、登校拒否になり退学。《2000年代》
□ いじめ自殺:2000/4/28 福岡県太宰府市の高校の男子生徒(高2)が自宅の納屋で首吊り自殺。2月から5月まで、この生徒を含む知り合いの高校生3人を自宅や公園などに呼びだして殴るけるの暴行を加え現金30万円を恐喝していた容疑で、私立高校の男子生徒(高2・16-18)4人と県立高定時制の男子生徒(高2・18)を逮捕。
□いじめ自殺:2006/11/22 山形県高畠町の県立高畠高校で、女子生徒(高2・16)が、渡り廊下の屋根から飛び降り自殺。携帯電話に複数の生徒の名前をあげて、「言葉によるいじめを受けていた」との内容が残されていた。
これらの事件に共通して私が感じ取れるのは、限定された仲間集団の中で加圧された抑圧感の高さです。家庭や先生の影響力が残っている小中学時代に比べ、高校時代以上は純粋に仲間に向かっていくのだと思います。
その仲間集団の限定度が高いほど抑圧感も高くなるのだと思います。
私なんかは抑圧を感じれば部活やグループを抜ければいいと思いますが、実はそこから抜け出すのが困難なようです。
勉強なりに可能性を見いだせなかった子供たちの中では、「部活いのち」といって憚らない子も多いと聞いています。
私の娘は、「部活があってよかった。」「もしなかったら・・うちらどうしたいいか・・・わからなかったあ・・」と友達と言い合っています。
彼女らに限らず、勉強や家庭の中では他に可能性を感じる課題が見つからず、「部活」が唯一手応えが感じられる課題となっている人は多いと思います。
現在は「人の役に立ちたい!」という意識潮流がどんどん低年齢化しています。
家庭や学校の活動の中に可能性のある課題が見いだせないということ自体がおかしいことなのだと思います。
実は学校や家庭の外に目を向ければ課題はたくさんあるからです。
この「人の役に立ちたい!」という意識が、対象を限定された仲間集団から(みんな⇒)社会に向かえば、「世の中をどうする」に繋がっていくのではないでしょうか。そうなれば本当にいいなと思います。
それにはまず現実がどうなっているか考えていくことなのかなと思います。(tennsi21)
投稿者 tennsi21 : 10:26 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月21日
中学生のいじめについて。
引き続き、子どもに関する事件・事故の事例をまとめたサイト『日本の子どもたち』について考えてみます。このサイトを見ると、
小学生に比べると、中学生のいじめの発生件数は圧倒的に多く報告されています
何で
少し考えてみました
小学生・中学生のいじめを考える上で、皆さんの投稿を参考に考えてみると、親との関係・仲間との関係をヒントに考える必要があると思いました
最近の親子関係を表す言葉としては、過保護、子育てパパ、幼児虐待が思いつきますが、いずれにせよ、表層的な親子関係と考えられます。世の中の規範や制度が崩壊し、良い悪いを判断する評価軸や判断軸が無くなっている以上、また家庭に親子共通の課題がない以上、親は子供に対して感情的に接したり、迎合したりと、表層的な親子関係に留まっていると考えられます。
それでも、親からの一方的な期待、そしてそれに応えようとする関係は残っています。
しかし「小学生・中学生が将来就きたい職業アンケート」を見ると、無回答・未定がどんどん増えており、親の期待・影響力が小学生から中学生になるにつれて、どんどん無意味、小さくなってきていることを示しているのではと思います
次に仲間との関係ですが、小学生と中学生の違いは、中学生になるにつれて、親との関係が中身(課題)が無い事も相まって、仲間との共認充足のウエイトが重くなっていくと考えられます。
毎日新聞のアンケートでもこの内容を示しています。
まさに、中学生にとって、自分を受け入れてくれる場=仲間集団が絶対であるということ。その場にある大人たちの、「勉強しなさい。自分の好きなようにしなさい。」という一方的な押し付けが無意味であることを中学生は小学生と違い確実に感じとっている。そのため、仲間同士で燃えられる、盛り上がれる課題を欲しているのだが、それは無く、単に親和充足=仲間はずれになりたくないだけ
だから、いじめに対しても、自分がいじめる側でも、いじめられる側でも逃げられない。これが、中学生が小学生にくらべいじめが多い理由だと思います。みなさんどう思われますか?
投稿者 hoop200 : 17:01 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月18日
■小学校におけるいじめ・事件・事故はどうなっているの?■
■子どもに関する事件・事故の事例をまとめたサイト『日本の子どもたち』より、子どもに関する事件・事故 1【いじめ・恐喝・リンチなど生徒間事件】から、小学校のいじめ事件事故の事例を下記にまとめて、分析したいと思います。

■まず、その事象から見えるのは・・・・・
1)発生件数は、圧倒的に、小学校での発生件数ほうが中学校より少ない。
2)高学年の4年~6年生(10~12歳)のいじめ・事件・事故が圧倒的に多い。
3)低学年の1~3年生(7歳~9歳)の事例は、いじめといえるものは、1件。そもそも、発生件数がすくない。その他は、事故や児童の両成敗の事例。
4)高校になると、部活のいじめなどが多くなる。
■私の意見として
●低学年では、学校や新しい友達に慣れること、勉強の基礎を学ぶことなどの課題が、まだまだ存在し、児童達は、まだ、素直さを残し、私権原理に巻き込まれていないこと。
また、教師と生徒の関係では、教師の力の関係で、クラス全体をまだ、まとめられる状況で、管理型の運営でもなんとかまとめられることなどで、いたずらが過度になって事件・事故が起こっているだけ。また、明らかに、親への収束力がまだまだ、教師や仲間や学校への収束力よりも大きく、過保護空間が温存されている時期とも捉えられます。
●高学年になると、クラス・学校の同じ仲間同士の閉塞化、密室化がいじめや事件・事故を生み出し始める。無視、金(=私権)への執着、体の性的な変化が始まる状況の中、自我(自己正当化、他者否定)の制御ができくなる時期となり、中学校でのいじめ・事故・事件増加の初期現象が見られる。学校・教師という大人社会への批判や不満も鬱積する時期であり、「授業・勉強なんかつまらない」「なんのための学校?」などという疑問が生じてくる時期である。
また、仲間関係の圧力の中から逃れられないという意識をすでにもっていて、極端に共認不全に陥った児童のいじめ自殺が発生している。学校での自分の存在する意味をもたず、それでも、仲間第一なので、その場にいなければ行けないという圧力状況下で、貝になり、虫になり、フリーズしてしまい、抱え込み、いじめ→自殺となってしまうように思います。
『日本の子どもたち』に掲載されている小学校の事例を、年代別に小学校のいじめを並べてみました。
■1996/3/18 山口県徳山市の徳山小学校の女児(小6・12)が、マンションから飛び降り自殺。「無視された」「避けられている」「学校へ行くのがおもしろくない」などとノートに書いた遺書があった。
●2000年代
■2000/4/某日 神奈川県川崎市多摩区の市立南菅小学校で、中国人の父と日本人の母を持つ女子児童(小3・8)が、複数の同級生らからいじめを受けて転校。PTSDと診断される。
■なんといっても、圧力が自閉化、密室化、閉塞の方向に働いている状況を転換する必要を感じます。それには、やはり、いじめに変わる課題を提起する必要を感じます。
投稿者 2310 : 12:30 | コメント (2) | トラックバック
2007年01月14日
遺書にみる、いじめの特徴(データまとめ)
こんにちは。
「いじめ」に関して紹介されているサイト、 「日本のこどもたち」を私も見てみました。
自殺や殺人を犯す理由に関する投稿がありましたが、私は、このサイトに書かれている遺書からいじめられた側の気持ちについて何か特徴がないか?調べてみました。遺書が存在するのは、80年代~00年代です
まず自殺の件数ですが、60年代→70年代→80年代→90年代→00年代(’06まで)で、0件→2件→31件→63件→11件と増えてきています(00年代は途中のため省いてます)。
文部科学省が公表している資料では、いじめの発生件数は近年減少傾向にあるとしていますが、このサイトの自殺件数や内容から考えると、決して減少しているとは思えません
さて遺書を読んでみると、大まかには次の4つくらいに分類できるのではと思いました。
1.いじめた相手をうらんでいる。
2.どうしていいのか解らず、あきらめている。
3.自己を否定。
4.廻りの仲間に対し感謝を表している?
全体を読んでの印象ですが、まず、全体を通じて2.が一番多い。しかし、90~00と年とともに1.と3.の遺書が増えてきているのではと思いました。
参考までに各分類ごとに代表的な事件を抜き出ししてみます。
1.「うらんでいる」は
1985年:「野辺地中学校さようなら 野辺地中学校全国大会(吹奏楽)金賞目ざして頑張って下さい さようなら 十二月九日月曜日、死にたい、死にたい、絶対に死んでやる 学校にいえばいったでワ(方言で自分という意)と友だちが仲間と一緒に殴られる。何が何でものろってやる。これから青春したかったのにお前たちのせいで この野郎」
1999年:「私をいじめた多くの方々へ 担任の先生へ おうらみします 末代までもたたってやる」
2000年:「早く楽になりたい。あいつらは絶対許さない。復讐してやる」
2.「どうしていいかわからない。あきらめ。」は
1986年:「家の人へそして友達へ。突然姿を消して申し訳ありません。くわしい事についてはAとかBとかにきけばわかると思う。僕だって、まだ死にたくない。だけど、このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ。ただ僕が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃいみないじゃないか。だからもう君たちもバカな事をするのはやめてくれ、最後のお願いだ。」
1992年:「お父さん お母さん お兄ちゃん ごめんなさい。初めて学校をさぼってここにいます。私は学校で友達から無視されています。原因はよくわかりません。ただわかることは、私が悪いらしいのです。だから、あやまってみました。でもゆるしてくれはいないようです。なんだかわけがわからなくなってきました。そのうち学校に行くのもおもしろくなくなってきて、いまでは起きるのも気が重くなってきました。そんな自分がとてもいやになりました。本当にごめんなさい。」
2003年:「生きているのに疲れてしまいした。親孝行できなくてごめんね」「いつも仲間外れ。学校いやです、死にたいよ」
3.「自己否定」は
1994年:「私が全部悪いんです。もう生きていく資格がないから死にます。」
1995年:「おれは根性なしです。弱すぎる人間です。今までのこと、本当にごめんなさい。輪廻転生を信じます。十五年間おせわになりました」
4.「感謝」は
1985年:「ありがとう ほとんど、だれも恨んでいないが」
いじめの理由→①(力の)暴力②お金③言葉とともに、今後、詳しくを分析していきたいと思います。
投稿者 hoop200 : 08:02 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月07日
子供の自殺や殺人の理由って、一体何なの??
こんにちは
これまで、色んな観点からの子供の「いじめ」や「殺人」に関する投稿があったので、今日は「じゃあ、子供達は一体、何が理由で自殺したり殺人を犯してしまったりするんだろう?
」という辺りを、少しだけ紹介してみたいと思います
っとその前に、
ランキングに参加してます
ポチっ
とヨロシクね
「日本のこどもたち」の中の「いじめ・恐喝・リンチなど生徒間事件」より、紹介したいと思います
理由の中身って、一体なに??
主な理由を取り出してみると、以下の3点が多い事が分かりました
①(力の)暴力
②お金
③言葉
では、一つずつ見てみましょう
①(力の)暴力
このサイトでは、1960年~2000年を対象にしていますが、「殴られた」「蹴られた」「暴行を受けた」などの身体的暴力は、どの時代にも一貫してあったように思われます。
次に、②お金はどうでしょうか?
「お金を要求された(せびられた)」「お金を無理やり取られた」「万引きを強要された」等の理由がありますが、これもどの時代にもあった感じがします。
ただここ最近は、この理由で自殺したり殺人を犯したり・・・ということは、若干減少傾向
にあるようにも思いますね
では、最後の理由、③言葉に関しては、どうでしょうか・・・??
実は、1960年代~2000年代にザッと目を通してみると、1990年以降から、自殺の理由にこの「言葉」が増えているのが分かります
例えば「あだ名」。
少し上の世代の人
に聞いてみると、その人達の子供時代にも当然、「あだ名」は存在していたようです。
が、あだ名で呼ばれたからと言って、別に腹が立つわけでもなく、当然「死にたい・・・」などと思うはずもなく、むしろ親しみがこもってる
のが伝わってくるから、全く気にならなかったそうなんです
それが今ではどうでしょう・・・?
昔なら全く気にならなかったはずの「あだ名」でさえ、今の子供達にとったら、充分すぎる程の自殺の理由になっているのです
もちろん「あだ名」だけじゃあありません。
様々な言葉の暴力。それらが全て、今の子供達には深いキズとなってしまうのです・・・
何で、昔に比べて子供達は、言葉に過剰に反応するようになったのでしょうか・・・??
今後、もっと詳しく分析して行きたい所ですね
(BY yukarin
)

投稿者 yukarin : 10:00 | コメント (5) | トラックバック
2007年01月06日
「日本のこどもたち」からみえる子ども達のいじめの実態
「日本のこどもたち」
から、今後の社会を担う子ども達のいじめの実態をtennsi21さんに引き続き、調べてみました。
平成17年度いじめ・暴力行為等防止のための啓発ポスターコンクール最優秀作品より
県立弥栄東高等学校2年生 若林佑未さんの作品です。
新年、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、昨今、こどものいじめについていろいろと各方面で議論されていますが、膨大なデーターを収集されている上記の「日本のこどもたち」から、下記の視点で現象を抽出してみました。
1)いじめる側の人数は、過去から変わっているのか?
・昔は、子供同士のけんかは、「タイマン」の言葉に象徴される、1対1あるいは、多対多であったように思います。しかし、いつのまにか、多対1あるは、数人という構造になってきたのではないか?という疑問から
2)どういうグループがいじめるのだろうか?
・部活でのしごきは、かつてもあった。上級生からのいじめといえばそうだが、同級生からのいじめが増えているのでは?ないか?という疑問から
3)そのようないじめに対して、教師や学校側のかかわり方はどうなっている?
・かつては、先生は、学校やクラスのまとめ役だった気がするが、いまは、いじめを学校、クラスぐるみで隠蔽しようとする方向、あるいは、自らいじめている教師、学校からいじめられている教師などのケースが増えているのでは?という疑問から
上記の視点で、「続き」では、象徴的な事例とデーターを紹介します。
下記のランキングに参加しています。クリックをお願いします。
↓↓↓
・「子どもに関する事件・事故 1」のデーターを読み取ると
■1)いじめる側の人数は、過去から変わっているのか?
●1960年~1970年代に起こった子どもに関する事件・事故・いじめを起こす生徒は、2~5人程度のグループであること。
●1980年~2000年代には、相変わらず、2~5人のグループが加害者となるケースがあるが、5人~10人以上の加害者グループが増加傾向にある。
▼私見:より多くの生徒から、無視、いじめ、恐喝などを強いられるケースが増えているため、仲間第一の意識が強くなるにつれ、グループから逃げられない→自殺が増えている傾向にある。少数だが、報復殺人・報復いじめの逆襲行動も見受けられる。
■2)どういうグループがいじめるのだろうか?
●上級生がいじめるか?同級生がいじめるか?
・圧倒的に、同級生からのいじめが多い。しかも、1980年~1990年代がピークとなっている。
●非行グループか、普通の同級生か?
・非行グループからのいじめ事例の件数は少ない。圧倒的に、普通の同級生からのいじめの事例が多い。また、1990年中までに、非行グループのいじめの事例は姿を消す。
●部活でいじめられるのか?クラスの中でいじめられるのか?どこで起こっているのか?
・部活で大人数でいじめる?というかしごきは、いつの時代でも多い。例えば、ワンダーフォーゲル部、剣道部、空手道部、バレー部、バスケ部、野球部、相撲部、体操部、応援団などの運動系クラブでのいじめ、しごきは、一貫して事例があり、特筆すべきは、いじめの中身が陰湿化、集団化、強制的になってきている。また、文科系の囲碁・将棋クラブ、吹奏楽部などにもいじめが発生している。
・漁業実習中、交流学習時間、体育授業中などの授業の中でのいじめが散見される。
・学校外でも、塾内、スイミングスクール、公園なども見られるが、圧倒的に、クラス内部・学校内でのいじめの事例が発端となったケースが多い。
▼私見:部活での事例は、一様に多く、もっとも注目の必要なのは、同じ学校、同級生、同学年でのクラスでのいじめが発端となっている傾向があり、もっとも身近な仲間から、疎外されている。最近は、それを延長する形で、学外にいたる傾向もあると思われる。
■3)そのようないじめに対して、教師や学校側のかかわり方はどうなっている?
●下記の事例を参考にしたい。
・1986/2/1 東京都中野区立富士見中学校の鹿川裕史(ひろふみ)くん(中2・13)事件
「葬式ごっこ」には4人の教師が署名していた。・1987/4/23 長野県長野市篠ノ井の市立篠ノ井西中学校の上原夕子さん(中2・13)事件
いじめに悩む夕子さんに相談された男性教師は、クラス全員に彼女の何がいやなのかをテーマに作文を書かせ、その約半分を本人に手渡していた。・1989/4/27 東京都福生市の市立第二中学校、部活動の剣道部での男子中学生(中3)の暴行事件
練習に立ち会っていた教師は一部始終を見ていながら止めなかった。被害にあった男子生徒は転校。・1991/11/16 長野県中信地方の普通高校の男子生徒(高1)暴行・退学事件
校長は報告書に、被害生徒を「生真面目で意思が強く、いったん決意したことは親の説得にも応じないという(父)」などと書き、加害生徒6人に対しては一括して「多少元気が良いがごく普通の生徒」と記していたことが判明。・1992/6/24 島根県益田市の市立東陽中学校での岡崎一(はじめ)くん(中3・14)事件
同級生らからいじめにあい、下級生が行った万引きを強要したのではないかと教師に疑われて、夕方、自宅近くの雑木林で首吊り自殺。・1993/1/25 大阪府茨木市の市立中津小学校での同級生約10人のグループからいじめを受けていた男子児童A(小4)の暴行傷害事件
けがの後も学校側が放置したため、転校。・1993/1/27 北海道札幌市の私立札幌山の手高校の野球部での倒立の練習中の柳谷高志くん(高2・17)の暴行致死事件
事件を知った顧問教師は、部員に口裏合わせを指示していた。・1993/3/2 北海道千歳市の市立中学校での女子生徒4人(中3)へのいじめ事件
「いじめのことを先生に言っても全然よくならない」として、理科室から実験用硫酸を持ち出して抗議のために自分の腕にかけ、全治1カ月以上のやけどを負う。・1994/10/29 鹿児島県出水市立米ノ津中学校の舩島洋一くん(中3・14)事件
担任教師にいじめられていると相談したが、いじめがあったかどうかをクラスでアンケートをとった結果、何も出てこなかったため、担任はみんなの前で洋一くんに謝らせていた。・1994/12/13 愛知県岡崎市立福岡中学校の男子生徒(中1・13)事件
校長は一旦は、いじめとの関連を認めていたが、翌日には否定。・1996/10/29 兵庫県神戸市灘区の市立小学校での女子児童(小6・11)事件
学校側は「いじめと思われる無視などはあったが、女児は孤立していたわけではなく、死に至った原因は特定できない」とした。・1997/3/24 長崎県佐世保市の中学校での同級生を中傷する脅迫状約30通投函事件
担任の男性教師から、「君が犯人だと思っている」と女子生徒(中2)が問いつめられた。その後、校内で女子生徒犯人説が流れ、転校。
▼私見:一連の学校・教師側の対応を見てみました。こんな構造になっているのかもしれません。
→当初、いじめという事件が認識されないのか?1980年初頭は、学校・教師側は混迷していて、
→理解できない状況で、生徒と同じ行動をとったり、生徒から指摘されたりしています。
→その後、生徒みんなに聞く行動に出ます。
→そのうち、見ない振りをして
→どちらが悪いか?という判断をし始めたが、やはりわからず
→加害者を決めつけたり、放置したり、口裏を合せたりして
→また、犯人探しのように、生徒全員に聞くが、なにも出てこないため、誤らせ
→いじめはあったと認めるが、撤回し
→学校・教師を自己正当化して
→加害者であると断定して他者否定を行い
→無視する
ということになっています。不全→混迷→答えがない→みんなに聞く→答えがない→自己正当化→他者否定→PTAや社会的外圧からの逃避→無視の構造になっているように思います。
学校という集団をまとめるために秩序を形成しようとするがあまり、答えがないので、不全を抱えたまま、教師と学校は、路頭に迷っている状況だと思います。
こんな分析をしてみましたが、皆さんどうでしょうか?間違えがあったら教えてくださいね。今度は、いじめなどにいたる理由の分析もしてみたいです。
投稿者 2310 : 12:30 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月05日
いじめってどうしておきるんだろう
このサイトではいじめ・恐喝・リンチなど生徒間の事件だけでも185件あります。
事件の現象事実が大きく3つに区分されています。
「日本の子どもたち」http://www.jca.apc.org/praca/takeda/list01.html
・傷害・・・いじめ傷害 暴行傷害 いじめ不登校 いじめ事件 いじめ天候 いじめ退学 いじめ報復傷害 いじめPTSD
・殺人・・・暴行殺人 同級生殺人 しごき殺人 いじめ事故死
・自殺・・・いじめ自殺
185件の内訳は
傷害(%) 殺人(%) 自殺(%)
1970年 25 50 25
(1960年は2件のみ)
1980年 16 14 70
1990年 27 13 60
2000年 33 26 41
2000年になってそれまで減少傾向にあった殺人の件数が増えているのが気になるところです。
私はサイトを読んで①年齢②地域性③公立と私立の別という点に着目しました。(tennsi21) 以下続く
クリックしてください

![]()
①まず全体的には、年齢の低い小学生の事件が多い。
それも同じクラスの仲良しグループの中でのいじめ記事が多い。で中学生になると非行グループという特定のグループが出てくる。高校生になると部活のしごきとかが出てくる。
どれも限られたグループの中での仲間関係でのことだが、小学生の方がその規模が小さいケースが多いようです。
特に、佐世保の小6女殺人(ここでは040601)のように単独のケースもあります。
②地域性では意外に都会の学校より地方の学校の例が多い。
考えてみると地方は、しがらみが残っていて小学生時代のつながりが、そのまま中学高校と繋がっていくケースが多い。
都会では学校も多いし、必然的にみんなバラバラになっていく。そうすると既存の仲間集団にとらわれなくても、他の集団へ抜け出す機会は多くなるのでは。
③私立公立の別では公立の方がいじめ例が多い。
私立は経営基盤上の特徴を出すために学業やスポーツや礼儀作法に対象される教育姿勢を持っている学校が多い。
そのためそれぞれ一定の規律というものが存在し、特に中高一貫校が多く、例えば部活では高校生の先輩が中学生の後輩の面倒を見ることもあると聞いています。それがいじめを減らす効果があるのでは。。
私がこれらに共通して思うのは、どのケースも仲間関係が非常に限られていることです。
いじめられて「なんで生きているんだろう?って思うこと」もあるかもしれないが、いじめる方も、「いつか自分がいじめられるんじゃないか」って同じように怯えていること。
相手も自分と同じなんだと。すこしでもそこに気付けば、対象世界が広がっていくのになと思います
投稿者 tennsi21 : 08:00 | コメント (2) | トラックバック
2007年01月03日
サイト紹介 ~「日本の子どもたち」

明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします
このブログでも度々紹介されてきたように、学校に無茶苦茶な要求を吹っかける親達や、教師に暴力をふるい、あるいは脅迫する子供達、そして、いじめ・自殺・子供による殺人など、昨年は「家庭」という無圧力な密室空間が生み出す「自己中」問題が、様々な形で露になったのではないかと思います。
・・・しかし、一方であまりの惨状にいよいよこの“聖域”にもメスが入り、家庭の教育機能喪失に目が向けられつつある・・・そういった意味でも、今年はこのブログの役割もより大きくなってくるのかな・・・なんて思ったりしています。・・・みんなで盛り上げていきましょう。
ということで、新年早々ではありますが、昨年も散々報道され問題となった「いじめ」等の事件について、非常に詳細に過去の事件や関連情報がまとめられた優れもののサイトがありますのでご紹介します。
「日本の子どもたち」 です。
以下は、サイトの内容をベースに書籍として出版された「子どもたちは二度殺される」の紹介文からの引用です。
なぜ、子どもたちは荒れるのか。 なぜ、いじめはなくならないのか。 なぜ、子どもたちは死ななければならなかったのか。 多くの事例を見ていると、なんだかわかるような気がする。事件が起きるたびに、お決まりのように繰り返されるパターン。
学校・教育委員会は責任逃れに終始し、それにおもねるPTA、住民たち。死ななければならなかった人間の痛み、憤り、遺族の悲しみに寄り添うこともない、共感を失った社会。ただ隠すだけ。何もなかったことにしてしまうだけ。この国では、なぜ我が子が死ななければならなかったのか、事実を知ることさえ難しい。死んだ子どもの最後の願いも、名誉も、遺族の思いをも踏みつけてまで守ろうとするものはなんなのだろう。
子どもたちの死を教訓に生かすことさえない。子どもたちに教えられない命の重み。そこでは必ず正義が行われると信じていた最後の砦、司法の世界にさえ、時に裏切られ、やり場のない思い。子どもたちは何度も殺される。今日もまた追いつめられた子どもたちが死んでいく。 事件は繰り返される。
驚くべきは、もの凄いエネルギーをかけて丹念に蓄積された事実群です。
上記紹介文にもあるように、今や「事実を知ることさえ難しい」・・・文部科学省をはじめ政府系のデータには何らかの意図が透けて見え、マスコミの情報操作もいよいよ露骨になってきた。
そんな中、このサイトでは、各事件の詳細内容が、関係者の対応や発言から裁判の経緯まで、様々な“事実”として紹介されています。
・・・例えば、いじめで自殺した子供達の遺書には、加害者である同級生への恨みの言葉が書かれているものもあれば、逆に感謝の言葉が書かれたものもある。あるいは、自己否定の言葉が連ねられていることもある。
本当にいじめを無くすためには原因分析が必要になりますが、その上でこういった生の声や情報は無くてはならないものです。
これら事件や裁判事例の他、いじめにあった際に対処し問題解決してゆくためのヒント集や、問題解決に役立つ情報源(役に立つサイトへのリンク集)、子供の安全・安心に生かすデータ集、用語集、あるいは日本の教育年表まで・・・ありとあらゆる情報が揃っています。
個人の方が日々集められた情報群ということで、全ての事件が網羅されているわけではないかもしれませんが、丹念に読み込むことで、間違いなく何らかの傾向が見えてき、いじめをはじめとした子供達を巡る事件の原因分析と解決策の検討に役立つと感じました。(こうた)
投稿者 kota : 02:49 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月02日
自閉症・自己中が増えている!なんで?

自己中の猪突猛進はいただけませんが・・・
みなさん
明けましておめでとうございます
今年も教育問題、子育て課題、子どもの意識潮流など実体験に照らし合わせながら考えていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします
前稿:他人の気持ちが解らない!!~自閉型人間の急増は社会病理では?~
に引き続き、自閉や自己中に至る背景としての圧力構造について押さえていきたいと思います。
まず、前稿では自閉や自己中が受信回路遮断という見方をしましたが、まずは、どのように遮断に向かうのかを事例から、扱っていきたいと思います。
注)ここでいう自閉とは、自閉傾向のある人まで含む広義の意味で使っています。
身近な事例を2例挙げます
彼の場合は、幼少期の母親から「(お兄ちゃんだから)しっかりしなさい!」と有無を言わさずに怒られ続け、それを回避する方法として“笑顔”に収束していった。仲間からのいじめ圧力も何とか“笑顔”で乗り切ってきた。だから、見た目では自閉・自己中とは解り難いが、話してみると言葉のキャッチボールが殆ど出来ない。仕事でも、課題を把握できずに勝手な判断で進める。こちらが怒っても“笑顔”は消えない。それは彼が圧力を潜り抜けてきた唯一の武器だから・・・
●もう一つの事例も、一見自閉・自己中とは解り難い事例で、今度は圧力の対象が父親の場合です。
彼の場合は、幼少期に父親から怒られてきたことに起因する。長いときには1時間余りに渡って怒られ続けたとのこと。怒られているうちに、何で怒られているのか、どうすればいいのか分からなくなり、ただただその時間が早く過ぎてくれればいいと思っていた。そこで形成されたのが、“相手の話をスルーする”意識と、(相手の話しが分からないから)自分の意識を拠り所にせざるを得ない“言い訳”回路(たまたま言い訳で上手く圧力回避したという成功体験に基づく)。 話の中である“フレーズ”に自分の意識が引っかかると、それに関連した自分思考に飛び移ってしまう。故に、全体が見えず細かな部分に拘り、失敗する。
★両者共通して圧力遮断→受信遮断が起こるのは、投げかけられる言葉が、事実に基づいていなかったり、故に実感に響かなかったり、或いは一方的に力でねじ伏せようとする強制圧力を持つから。
元々言葉は外界を対象化するため、それによって可能性を切り拓くためにある。そして、充足を得るためにある・・・
ですが、彼らが経験したことは、それとは全く逆だった。前者は考える間もないマシンガントークで言葉は“嫌なモノ”として意識化され言葉を失った事例。後者は長い時間“いたぶられ”自分観念(空想=頭の中の架空観念)に逃避せざるを得なかった事例だと思う。
親の言葉による強制圧力が受信遮断の一つの原因として挙げられます。
もちろん、親も子どもに“良かれ”と思って躾や教育のつもりで行っていると思うんですが、躾=“自分の思いどうりする”ということになってしまっているのが実情だと思います。
ここで、改めて躾とは、
“こどもが外界(=社会)に適応できるように導く”ことであり、
“可能性に向かって進めるように方向を指し示す”ことという風に捉えると、
自分の思いどうり・・・ではなく→社会=みんなの期待に応合して・・・となり
いやいや従わせる・・・のではなく→活力もってそこに向かわせる・・・となるのです。
だから、叱るときでも、
常に社会のみんなから見てどうなんだ?という視点と
こどもにそれが伝わっているのか?
そして、それを受け止め(実感し)反省できているのであれば、
そのことを誉めて(抱きしめて)充足を与え、
次に進める基盤としていく必要があります。
ちょっと長くなってしまいましたが、でもなかなかそれも難しい!と感じられるのは、実は、その背後に
社会(みんなの意識)を捉えられない!という観念の問題や
子供に伝える言葉がうまく出てこない!という言葉の壁があるのです。
次回はその観念・言葉の問題を圧力構造に絡めて扱ってみたいと思います。
投稿者 sashow : 10:16 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月01日
2007年元旦のご挨拶~充足可能性に向けて~
あけましておめでとうございます
さて、2007年の幕開けですが、今年はどんな一年になるのでしょうか?
トップバッターかわいにて、今年の充足可能性
を考えてみたいと思います。
少なくとも、昨年の時点で問題として浮上した家庭・教育関連の問題に関しては、全く解決していない、という事は抑えておきたいポイントです。そもそも、こちらのブログのタイトル「家庭を聖域にしてはいけない」は、近年の様々な社会問題の温床、あるいは根本問題として提示しているものであり、その具体的な問題意識が、「子どもたちが危ない。自己中の親・過保護な親。密室家庭は、人間をダメにする。」というブログ紹介コメントの通りな訳です。
昨年度の締めとしてiwai氏の方で当ブログの2006年アーカイブをまとめて頂きましたが、ざっと眺めるとやはり現在の密室家庭や閉じられた学校、という場は問題だらけである、という事が明らかになったと思います。
そして、さらに今年は「2007年問題」当日、となる訳です。
そもそも、2007年問題って何?
1.団塊世代の大量退職(技術継承・労働力減少・家計貯蓄減+社会保障費増、etc.)
2.大学全入学時代に突入(大学の淘汰が始まる)
3.人口減への移行(実際は2005年から減となった)
4.オフィスビルの供給過多(今年完成の新築ビル数がとても多い事による)
等をはじめとして、実に様々な問題が以前から指摘されていた年なんです。
では、これらの問題を前にして、当ブログではどのような可能性追究ができるのか?
実は、「問題」というのは全てが「可能性への収束
」に繋がっています。
今まで誤魔化し続けていた事の限界であったり、ミス・トラブルの表面化であったり、現象面だけを見ればまさに問題の嵐となる一年になるのでしょうが、それらは確実に解決しなければならない新たな外圧であり、かつ「家庭」や「学校」「企業」などの閉じられた集団単位では決して解決できない問題群でもあります。
そして、その事自体が、2007年を大きく躍進の一年とするチャンスでもあるんです。
2006年の段階で発生した、家庭・教育を取り巻く様々な問題は、その殆どが学校(先生)の責任、親の責任、個人の責任、として片付けられてしまい、問題の起こる構造そのものを核心的に追及された試しは一度もありませんでした。常に、「人それぞれ
」の問題として、片付けられてしまったからこそ、未だ腑に落ちない「不安
」だけが、人々の心の中に取り残されているのです。
しかし、今年問題となると予測されている物事は、全てが「社会問題」=「みんなの問題」そのもの。ある個人やある企業が頑張れば良い、という話ではありません。もちろん、既に支持率が下降ラインに乗っている安倍内閣には、期待できない。じゃ、家庭に閉じこもって自分だけが助かればい~や。なんて呑気な事言ってる人は、あっちゅー間に淘汰されちゃいますよ!
と、いう事で必然的に外圧が高まるであろう2007年!
しかも、『みんなの問題』がてんこ盛りとなりそうなこの一年。「家庭を聖域にしてはいけない」ブログメンバー一同、常に可能性発・充足発の発信ができるよう、心掛けて挑みたいと想います。
大人も子供も、主婦も学生も、み~んな集団の外を向き、社会問題の当事者となり、自ら問題を解決する為に立ち上がる絶好のチャンス!
「美しい国」等と言う曖昧な言葉に惑わされる事無く、「自分たちの国を自分たちで創る」為に、家庭を飛び出し、みんなで答えの供給者になりましょう!
2007年を社会統合元年とすべく、今年もよろしくお願いいたします。
投稿者 kawait : 00:00 | コメント (3) | トラックバック
2006年12月24日
子どもの勉強意欲を高めるためにはどうしたら良い?
下のグラフは2004年にベネッセが行なった調査結果からの引用。

小学生(4年生~6年生)に勉強する理由を質問した結果から…
●全体でみて回答の多い順に並べると以下のようになっている。
1番目=問題が解けるとうれしい
2番目=いろいろな考え方が身につく
3番目=勉強しないと頭が悪くなる
1番目は、まさに子どもらしい回答だ。
2番目は、間違いではないけれど…、大人から教え込まれた匂いがややする回答。
3番目は、きっと大人(親)に刷り込まれた回答だろう。
ちなみにこれは成績のレベルによる差がほとんど無い回答だ。
●成績レベルによる差が大きい順に並べてみると…
1番目=いろいろな考えが身につくから
2・3番目=いい中学や高校に入りたいから、 友だちに負けたくないから
4番目=自分がつきたい仕事につくのに必要だから
5番目=問題が解けるとうれしいから
知らなかったことを知るとか、友だちと競い合う、といった素直な感覚と、中学・高校や職業など社会に繋がるようなことが勉強の意欲に繋がっているように見える。
●見方を逆転させて、成績下位の子の理由をみると、実に面白い結果が浮かび上がる
1番目=勉強しないと頭が悪くなる(72%)
2番目=小学生のうちは勉強しないといけないから(69%)
3番目=問題が解けるとうれしい(66%)
4番目=自分がつきたい仕事につくために必要だから(55%)
5番目=成績が良いと親が誉めてくれる(54%)
子どもらしい回答の3番目以外は成績のレベルに関係が無い結果になっている項目、すなわち、勉強の意欲に繋がっていないお題目だ。
さらに、1番目、2番目は「…ねばならない」というマイナスのプレッシャーだ。
これでは勉強する 気になれないのもうなずける。
これらは、親や大人から刷り込まれた旧い考え方であったり、オブラートに包んだダメ圧力であったりするものだが、小学生の高学年ぐらいになると、いまどきの子どもは醒めた目で見ていると言えそうだ。
●世の親たちは、いたずらに我が子を子ども扱いしているとかえって逆効果であることに気付くべきだろう。
byわっと
投稿者 wyama : 22:52 | コメント (2) | トラックバック
2006年12月22日
子供たちの共認域
ベネッセ:Child Research Net「モノグラフ・中学校の世界」から、「授業の荒れ」を起こす教師像についてのデータを見ると、生徒と教師の意識にズレがあることがわかります。
決まりに厳しすぎたり厳しく叱る、またまじめで熱心(部活に熱心も含めて)な教師像について、教師は授業が荒れる原因とは考えていないが、生徒は荒れる原因として意識しています。
生徒の学校における規範意識が低下しているのは事実だと思います。しかし、先生たちはその原因を全く捉えないままに、先生自身の規範意識が高ければ問題ないという意識に留まっているというのが実態なのではないでしょうか。
生徒の意識に同化してみれば、「何で規則を守らなければならないの?」「何で勉強しなければいけないの?」という単純な思いがあるはず。なのにそこに踏み込まずして、「反抗」とか「やる気がない」と決めつけてしまう先生(大人)は、子供たちから見て反抗対象となることは明らかです。
子供たちの中でも、規範意識が強い生徒がイジメの対象になり易いのは、それが子供たちの仲間関係(共認域)を壊す行為だから。子供たちはその仲間関係を壊さないように、神経を使い、緊張して、なるべく目立たないように、と日々生活しています。仲間関係の共認域はそれほど強い圧力となっているのです。
逆に考えれば、
それほどに強い子供たちの共認域は、それが向かう先(課題)さえあれば大きな可能性になる
と捉えることもできます。
子供たちを仲間内ではなく外(社会)に導いてあげることが必要なのであり、今大人に求められているのは「思考の転換」なのではないでしょうか。
byヤマナ
投稿者 hiroaki : 18:51 | コメント (0) | トラックバック
2006年12月21日
子供にとってのネット≒現実
こんにちは。かわいです。
子供達のネット利用の実態はどーなってるの?
ちょっと調べてみました。
から、いくつかのレポートを参照。子供達にとってのネット世界の現状について、興味深い考察をいくつか紹介します。
ホームページ閲覧,作成,運営の三つの側面から子どもによるインターネット活用事例の調査報告が紹介されている。
実際に子供達が主体となって運営しているサイトとして、下記3つのサイトを探索。
●Cafesta
●サイバーキッズ共和国
●ふみコミュニティ
その他子供達とのネットを利用したワークショップ等を通して、以下のようにまとめられている。
続きを読む前に、ポチッとお願いします。
従来パソコンやインターネット以外のメディアで行われていた活動が,WEB上に発展的に拡大したものと考えられる。 サイトの内容からは,サイトの開設や利用にあたって,現実・直接の知り合い,家族や友だちの存在が見えてくる。子どもにとってインターネットは,現実と切り離された別世界ではなく,現実と繋がったメディアとして認識されているのではないだろうか。
また、以下のレポートからは、ネットを自在に使いこなしている子供の姿と同時に、ネットに不慣れな大人を見下す姿勢が見て取れる。
しかし、そのようにネットに慣れ親しむ中学生にとっての驚異は、さらに年下の小学生である、という。
新時代の子どもたちとの接触
~小中学生へのインタビューとワークショップを通しての考察~
彼によると、クラスの同級生と協力して、フリーサーバー上でホームページを運営しており、情報交換はそこの掲示板やチャットを使って行っているという。また、バナー広告を自分たちのホームページに出して、広告費を稼ぐことも知っている。「2ちゃんねる」などのアンダーグラウンド系の掲示板も使いこなし、そこの文化やルールにも精通している。余談だが、この話を聞いて、「2ちゃんねる」などはずっと若い世代が使っているのではないかと思うようになった。私も別の掲示板で知り合ってやり取りをしていた人がいたのだが、その人はほぼ自分と同世代(20代後半)と思っていた。しかし、ある時年齢を尋ねてみると中学生と小学生だという。「2ちゃんねるの中でへまをやらす人のことを中坊というけど、へまをやらかしているのは大人達。僕たちはそんなことはしない。」中学生自身が言っている。
彼らは、インターネットに関して、大人より自分たちのほうが優れていることを知っている。反対に彼らが恐れているのは、彼らにとっての「若者」、つまり「小学生」である。彼らはいう。「自分たちがインターネットを使い始めたのは、ブロードバンドが普及して、家でもインターネットが気軽に使えるようになったこの1年だ。でも、小学生は今からインターネットを使い始めている。だから、彼らにはかなわない。」と。
上記サイト等を参考に、いくつかのコミュニティーサイトを探索してみたが、日常の仲間関係がそのままネット上に持ち込まれている部分と、完全にネット主体ではあるがやたらと軽いノリで繋がりを形成して行く子供達の様子が見て取れる。いずれも、子供達の日常には、完全にネットが入り込んでいる事が解る。
対面でのコミュニティー、あるいは一方通行の情報授受(マスコミ→視聴者)の関係を主体としてきた旧世代(大人達)にとって、ネット≒日常、となるには距離を感じることもあるだろう。しかし、それは私権意識を媒介とした、「知り合い」「他人」といった固定観念による枠組みが邪魔をしているだけであり、始めからネットというツールを用意された子供達にとっては、即座に『仲間⇒みんな』へと広がる事の出来る可能性へと収束しているだけであって、子供達が今後大人達を凌駕してネットに収束していく事は、ほぼ間違いないと見て良さそうだ。
では、この次代の可能性=ネットに対して、不足している部分は何か?
それは、
発信すべき『中身』
の問題です。
いくらネットを自在に使いこなすのが早い子供であっても、発信すべき中身についての同化対象は必要。子供主体のサイトは、現段階では友達、恋愛関連の内容が大半を占めているが、これらの発信は探索過程の子供達が知りたい答え(中身)=「みんな(社会)の状況」に対する探索であり、その期待に応え得る端的な認識の発信(反応)こそが、大人達に求められている役割となるのではないだろうか。
投稿者 kawait : 00:49 | コメント (2) | トラックバック
2006年12月19日
自己中排除規範か?教師の免罪符か?踏絵か?全体主義の常套手段か?『オレンジリボン・キャンペーン(いじめ撲滅)中学生が発案』が意味するもの
『オレンジリボン・キャンペーン(いじめ撲滅)中学生が発案』
「いじめなくすオレンジリボン・キャンペーン 千葉の中学」(毎日新聞 asahi.com gooニュース)という記事が掲載されました。
自己中排除規範か?教師の免罪符か?踏絵か?全体主義の常套手段か?
様々な意見が、よくも悪くもブログや掲示板で掲載されていて、話題を呼んでいるようです。巷に、様々な色のバンド、リボンによる意思表示やキャンペーンがはやっていますが、このいじめ撲滅のオレンジリボンは下記のようです。
①>千葉県市川市の妙典中学校(太田和誠校長、747人)の生徒が、リボンで、いじめ撲滅の意思を示す「オレンジリボンキャンペーン」を始めた。
との記事です。これで、いじめの根本原因の解決には至らないとは思いますが、いろいろと調査した結果、一見、表層的な運動のように思えてしまう現象の中に、『いじめを実感している当事者の生徒からの発案』という意識変化を見て取れると思います。
千葉県市川市の妙典中学校(太田和誠校長、747人)の生徒が、リボンで、いじめ撲滅の意思を示す「オレンジリボンキャンペーン」を始めた。全国で相次いだいじめ自殺に胸を痛め、生徒会が「学校から『いじめ自殺』を出したくない」と企画した。周囲に相談しやすい雰囲気を作ったり、いじめに気づいた生徒が止めに入りやすくしたりするのが目的だ。生徒会長で2年生の板垣敬太さん(14)が11月13日の全校集会で、「いじめを防ぐ『仲間』である印に、リボンをつけて欲しい」と呼びかけた。この日から廊下の5カ所に、トレーに入れたリボンが置かれた。
リボンは「誰でも簡単に作れるように」と安全ピンに一巻きするだけの簡単なもの。色は「暖かく、優しい感じがする」オレンジだ。すでに全校の約6割が胸につけた。
リボンづくりには、これまで約50人が名乗りを上げた。最初に用意した800個は約2週間で品切れになった。
きっかけは、いじめ自殺を予告する手紙が文部科学省に届いたことを報じる11月7日のニュースだった。板垣さんは「出した人の周囲に、相談できる人がいないんだろうな。うちに同じような人がいたら、みんなリボンをつけることで相談しやすい雰囲気が作れる」と思い立った。
生徒同士でいじめを止めるのは簡単ではない。生徒会で会計監査を担当する2年の駒村志保さん(14)も「いじめは先生が見ていないところで起きる。リボンでいじめを防ぎたい」と語る。
リボンをつけて毎日登下校している2年の斉藤孝憲さん(13)は「みんなが同じ気持ちでいることが分かる。いじめを止めに入りやすくなった」と話した。
千葉県市川市の南行徳中学校(菅澤龍之助校長、667人)で11日、いじめ撲滅を目指してオレンジ色のリボンを胸につける「オレンジリボンキャンペーン」が始まった。いじめをなくす意識を高めようと生徒たちがアイデアを出した。同校ではこの日、生徒会が放課後にリボンを配った。生徒たちは「いじめに反対し、いじめをなくすことに積極的に参加、協力することを誓約致します」と書かれた誓約書にサインしてリボンを受け取った。
キャンペーンは、菅澤校長が「いじめをなくす手だてを考えよう」と呼び掛けたのがきっかけ。生徒会で話し合い、北朝鮮による拉致被害者支援のブルーリボンにヒントを得て考えついた。色は「暖かく紺色の制服に映える」とオレンジにした。
生徒会長の2年、町直也さん(14)は「(誓約書との交換制にしたのは)自覚を持って付けてほしいから」と説明する。この日だけで、150人に行き渡ったという。1年の梅原早姫さん(12)は「いじめられている人に安心してほしい」と話していた。
生徒たちの熱気を見守る一方で、教師の中には、リボンを付けることに抵抗を感じる生徒に影響を与えないかと心配する声もある。菅澤校長は「むしろリボンを付けない子に目を向けないといけない」と話していた。
同市立妙典中学校も先月から同様の試みを始めている。
■教員の呼びかけとはいえ、生徒自身のいじめ当事者からの発案は、いじめられる、いじめる自己中仲間に対する排除共認形成の芽生えでもあると思います。その実態は、下記のようです。
事業の特色 事業の成果 今後の取り組み【実施主体】 教育委員会・学校(中学校)
千葉県:市川市立南行徳中学校
【実施協力機関】 市区町村:市川市
【事業実施期間】 平成15年3月5日~平成15年3月19日
【事業の特色】
○生徒の意識調査実施
・日常の学校生活を見直す契機として、また生徒の視線から教育活動を見直すため、アンケート形式で生徒の意識調査を実施。
・結果は職員生徒双方に明らかにし、学校生活改善に役立てているが、その中に、「いじめのない学校にしたい」という願いがあることに生徒会が着目した。○生徒会の自主的活動によるいじめ撲滅キャンペーン
・全校集会で生徒会長より、全校生徒にいじめのない学校づくりへの協力要請を行った。
・生徒会予算で買った布を役員らが裁断して、オレンジ色の小さなリボンを作成。いじめを「しない」「させない」「黙らない」「許さない」という4つの約束を守ろうという生徒は、このリボンを着用する事とした。
・教師もこうした生徒の主体的活動に賛同、いじめを「させない」「許さない」「見逃さない」との意思表示に生徒と同じリボンを着用した。【事業の成果】
1,生徒の意識の変容
・結果的にほとんどの生徒がリボンを着用し、いじめに対する問題意識の共有化が図られ、「皆で防止しよう」との共通意識が強まった。2,生徒・教職員・保護者の意識の共有化
・趣旨に賛同してリボンを着用する保護者も多く、生徒・保護者・教職員の間で、この問題にともに取り組もうという意識の共有化が図られた。3,学校への信頼感の促進
・一連の取り組みを保護者が評価し、学校への信頼感が高まった。【今後の取り組み】
これまでの実践の継続・充実
1,アンケートによる生徒の意識調査で、いじめ等の問題行動の早期発見を始め、教育活動全般を生徒の視線から見直す。
2,教育相談週間を充実させる。
3,放課後、部活動を含めた諸活動だけでなく、教室に残っている生徒も含めて生徒と教師の交流を深めるための「生徒に密着する週間」を充実させる。
4,オレンジキャンペーンについても継続の方向で考えたいが、あくまで生徒の自主的活動であるので生徒とともに検討していきたい。
■■いじめってなんで起きるの?
学校でも企業でも家庭でも地域でも、集団内でのいじめは、どこでも起きる。もともとは、集団の課題・役割・規範・評価共認の内容に反した自己中、自我肥大に対する集団破壊の恐れのある行為に対する排除共認だと思います。共認を乱すものを放置しておけば、集団秩序を崩壊させてしまうおそれがあるからです。
■■■このオレンジリボン運動が、いじめを課題化してゆくことになると思う。もっと進めば、いじめの構造を解明し、それが、社会の問題であること、社会・全体課題であり、現存する集団を解体→再構築して秩序を作り出すことになることに行き着くと思います。そこは、中学生の自ら発案では未明課題で、大人たちの新しい期待と答えへの認識転換が、必要となるでしょう。この運動を表層的に終わらせるかどうかは、私たちにかかっているといっていいと思います。
投稿者 2310 : 12:00 | コメント (0) | トラックバック
2006年12月13日
「自己中」・・・どうする?
今日は、12/6のエントリー「いじめ問題」・・・どうする?に引き続き、「自己中」に関する類塾ネットの投稿を紹介します。
様々なところではびこる自己中・・・
家庭:過保護の正体は自己中(子どもの立場や相手の立場を全く考えていない)
仲間:いじめも、裏切りも、上手くいかないのも原因は自己中(相手や周りの気持ちにまで頭が回らない)
環境:己の利便や快美だけを追い求めるのも自己中(人類にまで頭が回らない)
借金:物的充足→市場拡大だけを追い求めるのも自己中(国の借金や将来にまで頭が回らない)
戦争:弱い国を侵略するのは自己中の極み(相手の国の人々のことを全く考えていない)
・・・自己中をどう封じ込めていけばよいか?
■もう手遅れ!?自己中は今からなおせる?:小6(男)
みなさん。今(現代)から、「自分さえよければいい」という「自己中」をなおせると思いますか?
ぼくは、なくす事はできないと思います。しかし、封じ込める事はできると思います。
・・・つづき
■人類は「みんなの圧力」で自己中を封印していた。:中2(女)
人類の歴史のうち、99.8%は絶望的な状況だった。その中で課題を見つけ、役割を決め、そして互いに評価して、また課題を設定して…と、この繰り返しにより、人類の本質である「共同性」が培われていきました。このような、共認がすべてだった人類にとって、自己中はまさに敵だったのです。
・・・つづき
■自己中は、共認機能の副産物(ガン):中1(女)
共認機能が発達していくと、課題→役割→評価の共認ができるようになります。
しかし!もし、評価が得られない、ということになると、どうなるのか?
・・・つづき
■原始時代に自己中はいなかった
当時は、厳しい厳しい自然状況をみんなが知っています。また、みんながいつも飢えて、怯え(おびえ)ていることも、みんなが骨身に染みて分かっています。このように、みんなに加わっている外圧の大きさ(凄まじさ)をみんなが心の底から深く共認している空間では、自己中は出てきません。
・・・つづき
iwai
投稿者 staff : 22:10 | コメント (0) | トラックバック
2006年12月11日
勉強するのはなんで?
http://juku.rui.jp/「子供達の勉強動機から、今の家庭で確実に出来ること。」
家庭が問題だ~!!
学校が~!!!
先生が~!!!!
この間、教育に関して、バッシングばかりで、
「どうしたらいいのか皆目わからん」
ってところじゃないでしょうか?
私も子供を持つ親といわれる端くれなので、今日は、ここんところを考えて見ます。
ベネッセのデータから、子供に対するアンケートを紹介します。

「とても+わりとそう」に「少しそう」を加えて見てみると、
テストでいい点を取ると嬉しい、就きたい仕事、いい学校、世の中の役に立つ、友達に負けたくない、勉強が楽しい、などが勉強動機の中心。
子供のたちの意識としてつなげてみると、
「就きたい仕事は世の中の役に立つこと。そのためにはやっぱりいい学校に入る必要も有る。こんな中から友達との競争心も出てきて勉強が楽しくなる。」
実は、子供達の潜在的な意識はとてもとても、真っ当なのではないでしょうか?
みんなの役に立って認められたい。(実現+期待)
教育基本法改正などで、安倍政権のお題目の一つ「再チャレンジ」等と関連させて、(教育の機会均等)第四条だとか個人的な特性の尊重だとか、個人的な充足ばかりを謳っているが、全く持ってズレズレコンコンチキなのではなかろうか?
改めて、古臭い、しかも完全にずれた大人の固定観念を押し付けるのではなく、子供達の潜在思念に耳を傾けて、社会につなげていくにはどうしたらいいのか?
この答えを提示していくことが、大人の役目なんだと思います。
その為には、現実を直視することも必要でしょうし、子供達と大人が真っ当な会話が出来るこんなサイトも必要なのだと思います。
byキントウン
投稿者 gokuu : 00:11 | コメント (3) | トラックバック
2006年12月10日
変わらない学校制度ってヘン?
現在の学校は、授業や学校行事、教室内での行動にいたるまで、明治時代に作られたものが受け継がれているものが多いですが、社会や家庭が当時とは比べられないくらい変化しているのに対して、学校の制度が旧いままというのは何かヘンだと思いませんか?
Child Research Net「モノグラフ・小学生ナウ 特別号」から、「子供が学校生活の中で『ヘンだな、おかしいな』と思うこと」をヒアリングしたデータによれば、「1人が悪くてもみんなで怒られる」(72.3%)が最も多く、次に「体育座りをする」(45.2%)、「気をつけ・前ならえをする」(43.7%)と続きます。

「体育座り」や「気をつけ」、「決められた運動着で運動する」などは、確かに現在の社会の中では学校でしかやらないこと。子供たちが疑問に思うのも無理はありませんよね。これらは子供たちが「管理教育」の対象であったことを意味していたんだと思いますが、もはやその理由は形骸化してしまったと言えます。
気になったことは、「1人が悪くてもみんなで怒られる」のが「ヘン」と思うことの多さ。これは例えば掃除などの集団課題を、個人課題としか捉えられていないということを示していると思います。「悪いやつが怒られればいい」「自分は関係ない」という個人意識の高まりは、集団性の崩壊を意味します。
学校の大半の時間を費やす「勉強」を含めて、今や子供たちにとっての集団課題がグラグラになってしまっているのではないでしょうか。みんなで取り組む課題がないことが、いじめの連鎖にもつながっていると考えられます。その原因は、学校制度の無用化だけでなく、個人主義教育にあることは間違いありません。
子供たちが社会に適応するために今必要な教育とは、「協調性、共同性の教育」なのではないでしょうか。
byヤマナ
投稿者 hiroaki : 18:00 | コメント (1) | トラックバック
2006年12月08日
近ごろの自己中現象の兆しが13年前の子どもの人間関係の中に見える
以下は、今の25歳前後の大人達が6年生だった頃の調査データである。
モノグラフ・小学生ナウ 2004年度特別号、1994年度VOL-14 より。
(リンク)
■「あなたがケガをして入院したら、どれくらい心配してくれるか」を身の回りの人について回答した結果。
「とても心配」という回答を見ると、母親、祖父母、といった家族に比べて、一番仲良しの友だちであっても「とても心配してくれる」という比率はかなり低い。
クラスの友だちにいたっては、「まあまあ心配」まで含めてようやく6割というレベル。
友だち関係がかつてに比べて希薄化し、母親と祖父母べったりという関係が見える。
■表6から 希薄化し、リーダ-的な存在が無くなった友達関係の中で、相談事がわずかに関係を結ぶきっかけ といった様子が見える。
希薄化してきた友人関係であるが、「悩みを友だちには話さない」、「友だちにイヤと言えない」という姿勢がやや優勢な一方で「友だちの相談にのるのが好き」という回答はかなり高い。
「リーダーにはさからわない」はぜんぜんそう思わないが最も多く、リーダーという存在が無くなっている ことを示している。
「家族より友だちといる方が楽しい」 に対する回答は、それを肯定する姿勢がやや優勢だが、年齢的にみればもっと高くても不思議ではないはずであり、友だち関係が希薄化していることの結果がここにも現れている。
■図6は、 友だち関係よりも家族(父母)との関係が重要視されている中で、父親よりも母親との関係がより親密になっている こと明確に示している。
父親は、ゲームなどでの遊び相手としてかろうじてそのポジションを確保しているが、それでも「いつも+わりと」で29%程度である。誕生日のプレゼントまで母親の方が優勢なのは??
■図25から 子どもにとって母親の存在が大きくなってきている中で、母親の職業(フルタイムと専業主婦)の違いによる人間関係の上手さ を見た回答にはうなずける。
「困っている友達を助けられる」から「怒っている人をなだめられる」まで、全ての項目でフルタイムの職業の母親の子どもの方が上回っている。
当然ながら専業主婦の母親の方が子どもと関わる時間は圧倒的に多いが、その結果、かえって子どもの人間関係能力を弱体化させているという結果だ。
母親の社会との関わりの希薄さと囲い込みが、そのような結果を招いていると見て間違い無さそうだ。
最近増大してきている、自己中な大人たちは、彼らの親たちの囲い込みによって産み出されていた ことがこの調査から見えてくる。
by わっと
投稿者 wyama : 00:03 | コメント (1) | トラックバック
2006年12月06日
「いじめ問題」・・・どうする?
今日は、11/21のエントリー「いじめの現状とこども達の可能性」 に引き続き、「いじめ問題」に関する類塾ネット、るいネットの投稿を紹介します。
■「いじめは良くない」だけを言い続けると、いじめが増える?!
間違っている人を怒鳴ったら、それはいじめ?
自己中な人を仲間はずれにしたら、それはいじめ?
嫌いな人を無視したら、それはいじめ?
機嫌が悪いときに冷たくあたったら、それはいじめ?
・・・つづき
■いじめ
学校で、いま登校拒否をしている人がいます。
その人は、小学校では、自分より上の人がいないので
いじめられることがなかったのですが、
中学校では、他の学校からの人にも同じようにしたようです。
・・・つづき
■自己中も、いじめも、なくすには?
「自己中はよくない」これは正常な感覚だと思います。
「いじめはよくない」この気持ちもよく分かります。
・・・つづき
■<真相>いじめ問題<その実態とは>
最近かなり有名になってきているいじめの問題です。
今回はそのいじめの被害者・加害者・傍観者の3箇所から見てみたいと思います。
・・・つづき
■いじめ問題 自己中なのは、誰?
>いじめは傍観者の行動によりすべてがゆだねられていると言っても過言ではありません。
なるほど~!と思いました。とても分かりやすいですね~♪読んだ後、「傍観者が、いじめている側につくか?いじめられている側につくか?は一体、何によって決まっているのか?」が、気になりました。
・・・つづき
■自己中を自己中で攻撃するのが「いじめ」では?
いじめに関するみんなの投稿を読んでみると、いじめの発端は、ある人のちょっとした自己中な態度や発言がきっかけみたいですね。しかし、なぜいじめる側は「あなたのとった行動は自己中だから良くないよ」と言ってあげずに、「仲間はずれ」などの陰湿な方法をとるのでしょう?
・・・つづき
■いじめに悩む人たちへ
>共感の真髄は、そこにある。共感の生命は、相手(=自分)の期待に応望することによって充足を得ることである。こうして、不全感に苛まれ本能が混濁したサルたちは、その唯一の開かれた可能性=共感充足へと収束することによって、はじめて意識を統合することができた。(実現論1_4_05)
実現論のこの部分・・・いじめに悩む人たちに是非聞いてもらいたい。
・・・つづき
■過激ないじめ報道が学級崩壊させる
中学生だった頃、隣のクラスにお調子者の男子学生がいた。
彼はいつもみんなにからかわれていたが、ムードメーカーでもあった。
ある時「大河内清隆君という男子中学生が、いじめを苦に自殺した」という報道が、連日に渡ってなされた。
・・・つづき
■“いじめをなくそう”ではなく“いじめに代る課題を”
福岡の「いじめ自殺問題」を契機に、“いじめ”がまたクローズアップされている。相変わらず大人たちからは“いじめをなくそう”という発想しか出てこない。
・・・つづき
iwai
投稿者 staff : 00:00 | コメント (6) | トラックバック
2006年11月21日
いじめの現状とこども達の可能性

11月15日の読売新聞に『無視や悪口など精神的いじめ「被害も加害も経験」4割…高校生6400人調査』
という記事が掲載されていました。
京都大大学院医学研究科木原雅子助教授と全国高等学校PTA連合会が、言葉で傷つけたり、無視したりする「精神的いじめ」について、全国の高校2年生約6400人を対象に
アンケート
を行い、14日に実態調査の結果を公表したとのことです。
被害経験は最も高かった小学生時代(現在高2故、5~10年前)で男子55・6%、女子62・7%に上る一方、「加害者、被害者の両方を経験した」が4割を超えているとのこと。
以下要約
調査は北海道から九州まで9地区の公立高校各5校を抽出し、9月に無記名式アンケート実施。 「精神的いじめ」を「しつこいからかいや無視など不愉快になること」と定義。調査結果:被害経験は小学生時点(男子55・6%、女子62・7%)
中学生時点(同52・7%、同54・1%)
高校(同38・0%、同29・5%)低年齢ほど高率でいじめが常態化。
「加害者、被害者の両方を経験した」が4割を超えている。
被害者が次のいじめで加害者になる割合は、加害者などがさらにいじめる側になる割合に比べ、
小学生時代で7~9倍、中学生で7倍、高校生で16~17倍いじめられないためにいじめる「いじめの連鎖」がうかがえた。
携帯電話メールの頻度が1日41回以上の生徒は、5回以下の生徒に比べて男子で1・7倍、女子で1・4倍、加害の割合が高かった。
インターネットでも週10時間以上の場合、1時間以内の1・3倍(男子)~1・9倍(女子)。
時間が長くなるほど、いじめをする頻度が高かった。
いじめが輪番制になっている原因については、これ
対面では否定できないが、心底では否定しているため、たまたまその人のいないところで仲間(否定)共認が成立すればその人がいじめの対象となる。(参照:「信じられないミスをする」若者は、対面期待にしか反応してこなかったから!?)
また、いじめについての“現役”子供達から挙げられている生の意見を『類塾ネット』から紹介します。
是非読んでみてください
■いじめの現象
『しらんぷりが生み出す悪循環』:高校生
『『無視』とは。』:小6
『【一生懸命】は馬鹿』:中2
■いじめに対する感想
『そういうのは「うわべだけ」の付き合いって言うんだよ!!』:中学生
『うらやましがる気持ち』:中1
■いじめに対する解決策
『いじめをやめさせよう!はただイジメが止まっているだけ』:高校生
■『るいネット』での答え
『“いじめをなくそう”ではなく“いじめに代る課題を”』:おじさん
政府や学者、マスコミなどは「いじめをなくそう!!」と言っていますが、“なぜいじめが起こるのか?”という原因分析や、“どうやって・・・”っていう『答え』を全然だせない!!けど、子供達の状況認識や分析、そして解決方針などものすごく可能性を感じますね!“当事者意識”の違いですね。
投稿者 sashow : 02:18 | コメント (8) | トラックバック
2006年11月18日
“いじめをなくそう”ではなく“いじめに代る課題を”
>問題解決の糸口は“いじめをなくそう”というスローガンではなく、“いじめに変わる課題”をいかに提示できるか、にある。<
http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_134965
以下に紹介する事例は、長野県のある学校での取り組みの例です。成長と死、あるいは創作と終焉を、生徒たち皆の協働のなかで共有するというところにポイントがありそうです。少し長いですが紹介します。
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/12029942
同校で40年も続いている『りんどう祭』という伝統的な文化祭。巨大な龍を制作するのだ。生徒達は半年間かけてその日のために巨大な龍を作っていく。大学受験を控えた3年生までもが、早朝から放課後までに空き時間を作って張り子の龍の制作作業に打ち込んでいるのだ。当然だが簡単に出来るものではない。完成日までの時間がない。自分の担当パーツが1つでも欠けると龍は完成しない。だからこそ、焦りや苛立ちが強くなるし、仲間同士のぶつかり合いもある。部活や勉強との両立に葛藤する生徒。高校生の前に立ちはだかる巨大な龍は、あまりにも思春期の若者にとって厳しい試練だといえるだろう。
『建立(こんりゅう)』という儀式では、生徒達が手分けして作った龍のパーツを一つずつ起こしていき、組み立てていかなければならない。龍をしっかり支えるために、骨組みは材木で出来ている。張り子の紙や塗料の重さも半端ではない。リーダーの「建立!」という掛け声に合わせて、男子生徒らが壊さないように慎重にロープを引っ張ってパーツを起こしていく。見るからに、かなり重そうである。、、、
感動した生徒達は、完成した龍の体にメッセージを書き込む。半年前までは、ただの『学校行事』に過ぎなかったのだろう。しかし、気が付くと皆で作り上げた龍に対する『愛着』が強く芽生えているのだ。
だが、儀式はこれで終わりではない。文化祭の終わりに、この龍を解体しなければならないのだ。リーダーが声を詰まらせながら感謝の気持ちを皆に伝え、最後の掛け声と共に生徒らは一斉にロープを引っ張る。今度はゆっくりではない。一気に倒してしまうのだ。あれだけ建立するまで苦労した龍は、もろくも倒され命尽きてしまうのだ。
最近の若者のことだから、一斉に倒したら倒したで喝采するのだろうか。否。皆、すぐに倒れた龍のもとに駆け寄り、泣いているのだ。もう言葉すら無く、ただ泣くばかり。時間までに解体しなければならない。号泣しながら、龍のうろこを剥がしている。中には、解体作業もできないほどに泣き崩れている女子もいる。やさしく慰め励ましながら、解体作業に参加させる友もいる。無情に見えるが、骨組みをチェーンソーで小さく切っていく男の姿もある。
巨大な龍の亡骸は、一所に集められた。何も知らない自分は、トラックで運ばれて行くのだろうかと思ってしまった。だが、そんな考えは儀式には合わないものだということがすぐに分かった。弓道部の生徒数名が登場したのだ。長い矢の先には炎。火矢である。掛け声と共に一斉に火矢が放たれ、龍の亡骸に到達する。火柱は高く燃え盛り、『りんどう祭』の本当のクライマックスを迎えることになる。
自分は不覚にも何度か泣いてしまった。こういうドラマを作ることができるなら、いじめなんか無くなるだろう。逆に言えば、これほどのドラマを作らなければ、いじめは無くならない。
それにしても、長野県の教育はすごいなあと学生の頃から思っていた。学生の時に見たドキュメントのこと。それもNHKだったと思うが。確か、小学生が1年かけてヤギを飼育する。ところが、最後の最後で『お別れの時』がやってくる。ただ、お別れするのではない。食肉処理場(と畜場)に連れて行かれると教師から説明される。当然、小学生達は「かわいそうだ」と言って泣いてしまう。普段、何気なく食事している(そして食べ残ししている)けれども、こうした経験によって『食物とは何か』ということを肌で感じることになるだろう。実験授業のドキュメントだった。これも確か長野県での取り組みだったと思う。この取り組みの話なんかも、自分はある教育委員会で提案したこともある。すごく嫌な顔をされたが。
投稿者 fwz2 : 21:49 | コメント (1) | トラックバック
2006年10月24日
若年者の適職探し
最近
国民生活白書
を仲間と一緒に読んでいます
今日は,H18年度版の第1章を読みました
若年者の適職探しということなんですが、そういえば会社に入ってもすぐやめてしまう若者が多くなっているって話し,よく聞くなぁ
職探しって言えば、フリーターとかニートとかも
そんなことを考えつつ読んでいくと,衝撃的
事実がっ
若年者の 5人に1人
が適職探しへの再挑戦を希望
おっ、多い
データをみてみると・・・
若年者の適職探しの類型
説明としては、
適職探しへの再挑戦を希望している15~34歳までの若年者の総数は、2004
年時点で558万人であり、これは在学者を除く若年者全体の22.9%に相当。
またこの数は増加傾向にあり、1987年と比較すると31.4%増となっている。
う~ん、確かに5人に一人は適職を探している模様
終業雇用の時代は終わり,仕事が自分に合わないと思ったらすぐ違う職についちゃうっていう現在の潮流、見事に現しているなぁ・・・
また、
就職活動をしていない就業希望者は、就業を希望しながら求職活動を行ってい
ない無業者のことだけど、そのうち、求職しない理由として
「探したが見つからなかった」
「希望する仕事がありそうにない」
「知識・能力に自信がない」
を挙げた者である。つまり、適職探しへ再挑戦する若年者というよりは、適職探し
に挑戦したが夢破れた元挑戦者や、挑戦することなく適職探しをあきらめた者が
含まれるグループである。
これってどうなんだろぉ・・・
自分に合う仕事がなかったから働いていない・・・つまり、働かなくても生活できるってことだよね。。
生活資金はどうしてるんだろう・・・やっぱり親
親からは何にも言わないのかなぁ・・・無圧力空間になってるのかも
ここらへんにも、家庭の危険性が潜んでいそう・・・
みなさんはどう思いますか??
返信お願いしま~す
by mikangirl
投稿者 1202 : 21:26 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月17日
「なれ合い型」学級崩壊が急増!!

学級崩壊
の傾向について、興味深い記事を紹介します。
ブログ界でも結構盛り上がっているようです!
iza!「先生は友達感覚「なれ合い型」学級崩壊が急増」10/13の記事から
**************以下引用**************
子供の教師への反発が広がって学級運営が立ち行かなくなる「反抗型」の学級崩壊が影を潜める一方で、友達感覚の優しい先生とのなれ合いの末に秩序が崩れる「なれ合い型」の学級崩壊が都市部の小中学校を中心に急増していることが、都留文科大学の河村茂雄教授(心理学)の調査研究で分かった。
(中略)
河村教授によると、学級崩壊は平均で10校に1校の割合で起きており、そのプロセスは
(1)管理重視で指導好きの教師に一部の子供が反発、それが広がっていく「反抗型」
(2)優しい教師による友達感覚の学級運営が瓦解を招く「なれ合い型」-の2つに大別できるという。
学級崩壊の広がりが問題化した平成9年当時は、「反抗型」が主流だったが、最近は地方の学校で散見されるだけ。16年の大規模調査では、なれ合い型のケースが特に小学校で急増。首都圏の小学校で崩壊した学級の60~70%がなれ合い型だったほか、地方でも、県庁所在地や人口密度が高い新興ベッドタウンなどの学校で増えているという。
学校があぶない!と思った人 おして ね♪
↓↓
教授によると、なれ合い型の学級崩壊は、こんなプロセスをたどる-。
年度当初、保護者は「自分の子供は受けいれられている」と感じ、教師との信頼関係が築かれる。だが、内実は先生と個々の子供の関係ばかりが大切にされ、集団としてのまとまりに欠けている。教師は友達口調で子供に接し、子供に善悪を理解させず、曖昧(あいまい)な態度を取ることが多い。
学級のルールが守れなくても「今日は仕方がない」などと特例を設けたり、私語を許すなどルール作りがおろそかになり、子供側には「ルールは先生の気分次第」という空気が生まれる。やがて教室内には、教師の気を引く言動が無秩序に生まれ、「あの子がほめられて面白くない」「先生は私と仲良くしてくれない」などの不満が噴出。告げ口が横行し、学級の統制が取れなくなる。
河村教授は「反抗型はかつて中学校で問題となった『荒れる学校』に近いパターン。問題を抱えた子供をしっかりマークして指導方針を変えるなど処方箋が比較的打ち出しやすいが、なれ合い型の崩壊は学級のどこから崩れるかわかりにくい問題がある」と指摘。
「最近の学校は個性重視が説かれ、個に寄り添える教師が増えた。その半面で教師も子供も集団形成や統制が苦手で、学級は集団というより群衆に近い状態になっている」と語っている。
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さらに、【なれ合い型の学級崩壊の兆候】として、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(崩壊初期)
◎学級全体の取り組みが遅れ、やる気が低下する
◎教師の気を引く悪ふざけが散見する
◎ルール違反しても教師に個人的に許してほしいとねだる
◎私語が増え、教師の話に口をはさむ
◎2~3人が固まりヒソヒソ話が目立つ
◎他の子供やグループのことを教師に言いつける
(崩壊中期)
◎注意すると「私だけ怒られた」と反発する
◎教師の指示が行き渡らなくなる
◎係活動が半分以上なされない
◎陰口が増え、授業中の私語、手紙の回し合いが目立つ
◎子供同士のけんかが目立つ
(崩壊期)
◎教師を無視し、勝手な行動で授業が成り立たない
◎教師に反抗するときだけ団結する
◎係活動を怠り、ゴミが散乱、いたずら書きが目立つ
◎掲示物などが壊される
◎給食は力の強い順番になり、勝手に食べる
*********以上引用終わり*****************
>あくまでも、教師が一人の大人として子どもを指導するという立場であるのならば、決して友達であってはならないと思います。一定のルールは守り、締めるところは締めて、緩めるところは緩めるといった緩急をうまく使い分け、けじめのある学級運営をしてもらいたいものですね。
とY's WEBSITE :Blog
さんの仰るとおりだと思います。
では、なんで“けじめのある学級運営”が出来ないのか?というと、
「旧規範の解体」とそれを加担した「個人主義思想」にある。
じゃぁどうすればいい?
>現状の混乱の原因は規範の解体にあり、その為には規範の再構築が必要である。
(中略)
本来規範や秩序はおそらくは必要不可欠なものである。 それは原点を辿れば構成員の秩序や安定に対する期待から生まれたものであろう。
すなわちもともとは相互の関係のプラス化、あるいは高度化のために徐々に形成されていったものと考えられる。
>もちろん旧規範を支えた社会構造は既に解体されている。しかし秩序は不可欠である。
だからこそ規範と関係秩序の再構築を考える上で、原点に戻って規範を形成する人間の内的構造を探る現在的意味は強いと思われる。その上で新たな秩序構築の上での基盤が現在存在するかどうかという議論になろう。
それは言葉を変えれば人間と人間を結びつける、その紐帯となる意識や内在する機能とは何かという問題でもあるのだ。
by sashow
投稿者 staff : 21:50 | コメント (2) | トラックバック
2006年09月18日
暴れる小学生増加? ⇒これはかなりヤバイ
暴れる小学生が問題になっているようだ。

2006年9月14日 読売新聞より
(以下、主要部分抜粋)
全国の公立小 教師に暴力38%増 464件2005年度に全国の公立小学校の児童が教師にふるった暴力は,04年度の38%増にあたる464件にのぼったことが13日,文部科学省のまとめで分かった。調査が始まった1997年以降、200件前後で推移してきたが、03年度から急激な増加傾向となっている。器物損壊などを含めた小学生の校内暴力の件数も2018件と3年連続で増加し、調査開始以来、最悪を更新。文科省は「感情を抑えられない児童が増えている。学校だけでなく保護者にも協力を求め、校内暴力に歯止めをかけたい」と危機感を強めている。
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脅す児童 おののく教師「無法地帯だった」。大阪府内の公立小で生活指導を担当する男性教諭(50歳代)は、昨年の校内の様子が忘れられない。
小6の女子児童が授業中に集団で教室を抜け出し、職員室で教師の引き出しをあさった。体育館のカギを勝手に開けて、中で遊んだ。注意すれば、「きしょい(=気色悪い)んじゃ」と、バケツやほうきを投げつけられたり、胸を殴られたりした。
教室を抜け出そうとする女児を制止しようとして、女児が弾みで転倒し、「先生にけがをさせられた。土下座して謝れ」と、詰め寄られたこともあった。
(中略)中国地方の男性教諭が昨年担任を受け持った小6のクラスでは、授業中、紙を丸めてセロハンテープで固めたものや画びょうが飛んできた。「アホ」「死ね」というヤジも降りかかる。
保護者を呼んでも効果はなく、逆に学年懇談会で「うちの子を悪者にしている」と名指しで責められたことも。
(中略)東京都内のベテラン男性教諭(50歳代)が2年前に担当を務めた5年生のクラスは、最初から「学級崩壊」状態だった。
授業中も児童はマンガを読み、紙を丸めたボールとほうきで野球を続ける子どもたちもいた。やめさせようと男児の手をつかむと、「何すんだよ」と腕を振りほどかれ、胸を殴られた。それでも手を引くと、「いてて。教育委員会に言って、クビにしてやるぞ」。
食欲がなくなり、1学期で7キロやせた教諭は、2学期になって指導方針を変えた。事細かに注意するのをやめ、「疲れたら眠ってもいい。だからほかの子の邪魔をしないで」と暴れる児童に呼びかけた。
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公立中学校の「荒れ」の問題は耳にしていたが、小学校の校内暴力増加ははじめて知った。
自己中ガキの増殖、そして、自己中親・自己中ガキに屈する学校教師・・・これはかなりヤバイ。
『キレる子』増加と同根で、人間の本性が壊れていく、極めて深刻な問題である。
→※キレる子増加? ⇒原因は、家庭崩壊とテレビ脳
ところで最近、急に、自己中親子に関するニュースが増えている。
自己中の親の過干渉が子どもをダメにする!~最近の雑誌の特集より
『増える学校への「無理難題」』(産経新聞9月11日夕刊より)
自己中増殖の一方で、(まっとうな大人たちによる)「自己中は許されない」世論が高まりつつあるということか。
iwai
