2007年02月26日
食の崩壊の背景にある問題とは?
少し前の「食事の変化に見る家庭の実態」という記事で、現在の家庭における食事の実態を紹介しましたが、コメントを頂いたりうママさんだけでなく私も含めて身につまされる思いの人は多いのではないでしょうか?
ここで紹介した岩村氏の調査によれば、30歳~40歳の主婦の意識が60年以前生まれと以後生まれとでは、「食」に限らず生活の様々な分野の価値観、感覚、行動に大きな違いがあることが明らかにされています。その大きな違いとは何でしょうか?
その違いは主婦たちの親世代にあるそうです。きちんと昔ながらの食事を作っていたはずの親世代において何が変わったのでしょうか?
以下は2005年の読売新聞の記事で岩村氏が分析している内容です。
>(母親たちの)平均年齢は65歳で、子供のころ終戦を迎えた人が多い。結果は「昔の母親」のイメージを覆すものだった。
>食糧難で幼少期にまともな家庭料理を味わえず、その反動もあって洋食にあこがれた。親に料理を教わらず、料理教室や本に情報を求め、自分が家庭を持つと、冷凍食品やインスタントのだしを当たり前のように使っていた。
> なぜ母親たちは「昔ながらの食卓」を否定し、受け継がなかったのか。キーワードは「戦後」だ。教科書の墨塗りに象徴される価値観の大転換を子供時代に経験した。
>「母親たちは個性を尊重する新しい教育観で子供を育て、『価値観は変わるから、親がやってきたことを伝えても意味がない』『子供に押しつけてはいけない』と考えるようになった」と分析する。
「個性の尊重」
戦後のこの価値観の転換が母親たちの教育意識を変え、その親に育てられた今の主婦たちの意識につながっているという分析は正しいと思います。家庭が社会から断絶して聖域化していく過程や「個食」にみられるように家庭内にあってもバラバラな個に分断されていく背景には、この価値観が横たわっていますよね。
しかし家庭が聖域化した理由はもう一つあって、市場拡大によって生産(職場)と出産・子育て(家庭)が分断されてしまったという、これまでの生物史上にない大きな問題があります。
この生産の場(闘争過程)と消費の場(生殖過程)の分断が、農業生産時代の農家にあったような、それ自体が一個の生産体であり自然圧力や様々な闘争圧力が働いていた場を喪失させ、何の圧力も働かない家庭(聖域)を作り出してしまったのです。
じゃあ、どーしたらいい?
りうママさんから率直な想いをコメント頂きましたが、この答えはこのブログで提起されている追求テーマそのものなんです。「家庭における食の崩壊」一つとっても、根本原因は全て先記に行き着くことがわかります。
家庭の中で答えを出そうとしても答えは見つかりません。つまり・・・
答えは家庭の中にはなく、外にしかない!
ということであり、それは闘争と生殖の場を包摂した共同体の再生にしかないと思います。
巷の「食育」ブームはどんな内容であれ全て目先なのであり、全く意味がないどころか事態を悪化させるばかりです。目先に捉われず、共同体の再生に向けて一歩でも二歩でも前進することが答えに近づくことだと思います。
投稿者 hiroaki : 18:38 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月25日
オタク~社会収束できない人達~
今回は、オタクにスポットを当てて見ました。
ニートやフリーターが高年齢化する現在。そのハシリとも言える世代がオタク世代。
そう言えば、この世代って“なんで屋露店”に立ち止まらないぁとふと思いながら・・・
当時(1988年)の流行語「おたく族」
「おたく族」 アニメやパソコンなどに熱中し、自分たちだけの世界に閉じこもり、直接的な対人関係をつくることが苦手な若者をいう。相手を呼ぶとき「おたく」ということから、この名がついた。
時を経て、当時、異端視扱えされていた「オタク」達も、今や認知され、異端視されることも少なくなってきた。市場においても、2004年には、『 「もはやニッチではない」オタク市場はデジカメ超える2900億円 』という見出しを飾ることになる。
世代的には、各層いるが、売上げを後押ししているのは、30代、40代ではないだろうか?
リンク
■アニメ:年齢層は15歳から40代、コミック、ゲームと重なる度合いや、PCマニアとの相関が強い。
■アイドル:年齢層は、アイドルの応援によく行く「現場系」が10-20代、「コレクター系」が20-30代。
■コミック:年齢層は、10-40代まで幅広く分布。
■ゲーム:年齢層は、13-24歳の若年層と30代に分布。
■自作PC:年齢層は、18歳から30代。40代、少数の15-18歳。
関連する記事リンクでオタクを定義化している。
「 オタクは理想像を追求する 」 オタクの定義は難しい。「ここからがオタクで、ここからは違う、という決まった点はない」(小林さん)。共通項をあえて出すとすれば、時間とお金の費やし方だ。可処分時間/所得のうち、対象物に費やす割合が極端に高い人がオタク、というわけだ。調査から、オタクは「理想像を追求する『情熱』『消費』『創造』のスパイラル」と位置付けた。「こうあるはずだ」と思う究極の商品――PCやアニメキャラ、想像上のアイドルなど――を理想化し、探求するのがオタクを突き動かすエネルギーだという。
理想追求の情熱が消費エネルギーになるため、価格は二の次。高価だったり、限定された時期・場所でしか手に入らないなど購入のハードルが高くても、惜しみなく投資する。理想像に近づき、思い入れが激しくなればなるほど消費のスピードも増し、どんどん深みにはまっていくという。
流行語として、流行りだした当時の定義と根っこの所「自分たちだけの世界に閉じこもり、直接的な対人関係をつくることが苦手」は同じであるが、定義のニュアンスが変わってきている。
年齢層で言うと、若者だけでなく、おじさんも。当時の若者がそのままオタクを継続すれば当然、年齢層も上がる。
当然? オ・カ・シ・イ
社会人になれば、仕事という課題が中心になり、仕事を通じて社会に目が向いていいものが、オタク達は、一向に社会には目を向けていない。
(程度の差はあれ)時間とお金の費やし方、かけるエネルギーetc全てが個的なもの、そして、理想や幻想と言った現実とはかけ離れた世界で充足を得ようとしている(得ている)。
社会に目を向ければ、環境破壊をはじめ、精神破壊、肉体破壊、国債800兆、幼児虐待、いじめetc、数え上げたらきりが無いほど、社会問題が山積みとなっている。
なのに、
何の外圧も受けない個室に逃げ込み、個的充足をむさぼる。
社会を考えず、自分のことしか考えない=自己中と言える。参考
また、せっせと(金銭面、個室という場を)支援している親もいる。
それでは、自己中を助長させているだけである。
投稿者 sodan : 22:41 | コメント (2) | トラックバック
2007年02月23日
我が子をアイドルに仕立て上げる芸能リポーターパパとママ
皆さん、最近の子供達の運動会やお遊戯会って、必ず撮影専用席
が設けられているってご存知ですか?
先日見に行ったお遊戯会も、会場の最前列2列分が空けられていました。最初は、来賓席かと思っていたんですが、一向にそれらしき方々は現れない。と思ったら、「お子様の出番になったら撮影用に最前列をご使用下さい。」とのアナウンスが。
なるほど運営側も色々と考慮してるんだなぁ~、と始めのうちは関心していたんですが、いざ会が始まると、カメラ
片手に撮影席に走り寄る大人達の姿にしばし唖然。
ん?この光景、どこかで見たことあるような???
そう!テレビ
の記者会見の風景そのものなんです
。
芸能リポーターのごとく駆け寄る親達のカメラのアングルは、ばっちり我が子のみに固定され、演目ごとにリポーターが綺麗に入れ替わっては、同じ光景を繰り返す。
ご近所のYさんの幼稚園では、お遊戯会は2サイクルあって、1回目は撮影禁止
で観覧し、そしてわざわざ撮影用
にもう一回演技を行うんだとか
!
こりゃ~いったい、何のための会なんだ?
我が子命の親たちが、我が子のみを必死で撮影する姿に、とてつもなく異様な空気を感じませんか?
子供達にとって、運動会やお遊戯会というのは、集団生活における成長過程を示す契機であり、いかにクラスのみんなと一体感を持って課題に取り組めたかどうかが、充足の深さ
を左右するものとなります。
また、そこでの想い出
はみんなとの充足体験
として深く刻まれ、仲間達との成功体験
は必ず次の大きな課題(ステップ)への取り組みに対する意欲へと昇華して行きます。
ところが、我が子のみを映した記録、我が子のみに興味を持つ親の意識下に囲い込まれたまま育てばどーなるでしょう?
そう。自己中の完成です。
みんなと上手く出来たかどうか?は、親の評価に値しない。自分がどうだったか、自分の子はどうだったか。そんな事にしか興味が沸かない親子関係って、とてつもなく寒いもの
を感じます。
こちら
の投稿も是非ご一読を。
「歪な子供収束」
家庭の中でマスコミに共認支配されている親が、今度は自らがマスコミと化して、我が子をアイドルに仕立て上げる。
最も身近な同化対象(親)が、自分にだけしか向いていなければ、子供にとって社会性を獲得する(視野を広げる)為の同化対象が完全に失われてしまいます。
この異様な自己中サイクルを目の当たりにして、昨今のイジメ・自殺や家庭内殺人などの問題の種は、ごく身近な領域で生み出されているのではないだろうか?と感じてしまいました。
「家の子に限って」
「家の子だけは」
このような意識が、どれだけ人間をダメにするか、改めて考え直す必要があります。
人間は、集団動物であり、共認動物、そして社会動物です。
みんなが、この社会を造っている、という当事者意識を持って、みんなの子供を育てる意識を持つこと。
大人達の課題は、子供をアイドル(人形)にする事ではなく、一人前の社会人(=社会の事を考えられる人)に育て上げる事です。
家庭用ビデオをお持ちのお父さん、お母さん、カメラのアングルを我が子ばかりではなく、社会に向けてみてはいかがでしょうか?
記事:かわい
投稿者 kawait : 20:03 | コメント (0) | トラックバック
2007年02月06日
書籍紹介:現代家族の誕生-幻想系家族論の死

<現代家族>の誕生―幻想系家族論の死
岩村暢子著/勁草書房/2005年6月
本日は、書籍の紹介です。
iwai
かわいさん、クリリンさん、コメントありがとうございます。記事のつづきです。
★先日のエントリー 食事の仕方次第でキレる子どもが育ってしまう!? にもありますが、『食と家庭』の視点から、子育ての問題、自己中や心の欠陥、学習意欲低下、体力低下、アレルギーetc様々な問題が浮かび上がってくるように思います。
⇒継続して追求要
●本書は、『変わる家族 変わる食卓』(勁草書房/2003年4月)を書いた岩村暢子氏による現代家族を知るための実証考察学の続編。前書では、1960年以後生まれの151世帯の主婦による一日3食の食事の記録により、家庭の食卓が崩壊しつつあることを明らかにしている。本書では、どうしてそのような崩壊が起こったのかを、前書に登場した主婦達の実母40人へのインタビュー『「親の顔が見てみたい!」調査』により検証したもの。
序章は「いま、ごく普通の家庭の日常の食卓は、想像を絶するほど凄まじく崩れ、激変している」という衝撃的な出だしからはじまるのだが・・・
ポイントは、現在の親たち(1960年以降生まれ)の母親世代の成育歴と価値観。
その世代の特徴として、
(1) 戦中・戦後の食糧難時代に成長期を過ごし、昔ながらの家庭の食を食べることなく育ったこと
(2) 戦前・戦後の価値観の転換や高度成長で次々に新しい電化製品や便利な加工食品が登場したこと、テレビや雑誌の情報などを通して、かつてのスタイルを拒否(否定)し、常に新しいスタイルに追いついていくべきと考え、それを実体験したこと
(3) 高度成長期の日本経済の恩恵を最も受けており、十分に子供に資金や時間をかけて育てていること、また自分たちのような苦労を子供達にはかけたくないという意識(→過保護)や自由放任主義志向(→個人・個性主義)も強かったこと
等々を挙げ、「現代主婦の食卓は、崩れるべくして崩れ、激変すべくして激変した」、それは「当然の結果だった」ことが論証されている。
また終章では「今日浮上しつつある深刻な家族問題や奇妙な社会現象のいくつかは、このような家族の歴史の上に、今ようやく顕在化し始めたことのように思えてならない」と結んでいるが、この点は私も全く同感。
食の崩壊のみならず、子育て崩壊、家庭の空洞化(「中身」の喪失→家庭幻想の死)の問題として捉えるべきであり、その意味で、昨年の教育再生会議で議論された「家族の日」云々といった『幻想系家族論』は全く意味を成さない=既に死んでいる、といってよいだろう。
●本書目次
序章 食の崩れの原因を求めて
第一章 結婚した娘をもつ母親たちの奇妙な発言
1 自慢じゃないが娘は料理上手
2 娘の料理は食べたことがない
3 崩れた食でも娘には言わない
4 娘に料理は教えなかった
第二章 元祖新人類の母親たち
1 「食」の原点を喪失した女たち
2 真似したくなかった昔ながらの食事
3 「習う」ことなくさせられた「お手伝い」
4 料理学校へ行き始めた女たち
5 墨塗り教科書──「新教育」で育った女たち
6 古いものを否定した女たち
7 働き出した女たち
8 遊び始めた女たち
9 夢は「家つきカーつきババア抜き」
第三章 激変する台所と家庭の食
1 卓袱台を捨てた主婦たち
2 コンロから電子レンジまで、台所の激変
3 便利な家電と家族の変化
4 都市化と食のクロスオーバー
5 日本の食が変わった時代
6 「新しいもの」「違うもの」がご馳走
7 インスタントと食の近代化
8 「素材発想」から「メニュー発想」へ
9 「素」がなければ作れない
第四章 「新専業主婦」の誕生
1 電化を急進させた家庭
2 テレビとマスコミ時代の始まり
3 情報を消費する主婦たち
4 出かけずにいられない主婦たち
5 「新専業主婦」の誕生
6 オーブンの購入と趣味化する家事
第五章 「お子様」時代の始まり
1 「お子様」時代の始まり
2 経験者の知恵より「育児情報」
3 育児書と変わる育児
4 ウチの娘も「習い事」
5 「好き嫌い」のない子供たち
6 「子供中心食」家庭の始まり
7 年中行事より子供の誕生会
第六章 「伝えない」「教えない」母親たち
1 子供の意思を尊重したい
2 「個性尊重」だから無理させない
3 人それぞれ、いろいろあっていい
4 理由があれば、何でもアリ
5 一応、一通り、とりあえず、人並み
6 「普通」であれば受け入れる
7 見た目よければ、それでよし
8 時代、時代で変わるから
9 「続ける」より「乗り換え」が大事
10 「御節」という集団幻想
第七章 「してあげたい」「してあげる」母親たち
1 「してもらう」手伝いから「させてあげる」手伝いへ
2 「なんとかなる」から教えない
3 伝えられない「お袋の味」
4 「してあげたい」母親たち
5 娘が「かわいそう」「大変」
第八章 「お楽しみ」繋がりの三世代
1 文句を言わぬ男たち
2 アクティブシニアミセスの誕生
3 「お楽しみ」繋がりの三世代
終章 <現代家族>の誕生──そして必然的に食は崩れた
あとがきにかえて──幻想系家族論の死
投稿者 staff : 00:35 | コメント (5) | トラックバック
2007年02月01日
食事の仕方次第でキレる子どもが育ってしまう!?
いきなりですが、 「食卓の向こう側」 という本を知っていますか
この本は、加工食品や食品添加物の危険性を写真入りで紹介していて、
えーー この商品も
っていうあまりにも身近な商品がたくさん紹介されている本です。
今日はその本の一部を紹介します

家庭を聖域にしてはいけないブログでも、キレる子どもたちの話が取り上げられていますが、
キレることと、食事が密接な関係にあるようなのです
農水省やJAで構成される「朝ごはん実行委員会」が首都圏の児童50人に食卓の風景を描いてもらうという実験を行いました。この子供たちの絵から、様々なことが読み取れます。
楽しい会話のある家庭の子の絵は、家族一人一人に表情があり、御椀を持つ姿、食事の内容等から楽しい雰囲気が伝わってきます。
そして、最近増えてきているのが「人なし、人マークetc」の絵を描く子供たち。
それらの絵は何を表しているのか?
例えば・・・
「人なし、食物のみ」の絵。
これは、強制される食事を投影している。丸と直線という「人マーク」に置き換えられた人間を描いた絵。
これは、会話が貧しい証拠。
人との充足感がない。「手なし人間」の絵。
これは、意欲も食欲もない。「隅で一人で食べる」絵。
よりどころを求めている証拠。「画面からはみ出すような人物」を描いた絵。
これは、怒りや攻撃性を表している。「豆粒のような人物」を描いた絵。
これは、心の萎縮をあらわしている。なんと、ここ十年で、楽しい会話の絵を書く子供は、5割から4割に減少し、「人マーク」は2割から3割に上昇しているとのこと!
もはや家庭は、食育の機能さえ失ってしまっている。
参考文献「食卓の向こう側5」西日本新聞社
るいネットより引用
この本には、実際に子ども達が書いた絵が掲載されていて、衝撃だったのが
「理想の朝食風景を描いてください」というお題で、小学5年生が描いた絵にびっくり
なんと
おふとんに入って、スナック菓子を好きなだけ、寝ながら食べるというような絵でした
そういえば、お休みの日に家の近所のマクドナルドの前を通ると、小さい子どもを連れた家族連れ
の姿であふれかえっているのを思い出しました
そんな小さなころから、ジャンキーなものばかり与えて大丈夫なの
お金を出せば、なんでも食べられる時代。一方で糖尿病などの生活習慣病が急増している。
食事のあり方、家族のあり方・・・すべてがなんかおかしい。
投稿者 kado : 20:48 | コメント (5) | トラックバック
2007年01月31日
きょうだい間の殺人は増えているのだろうか?
バラバラ殺人事件に端を発し、肉親による犯行件数を
少年犯罪データベース 肉親に対する犯行 より整理してみました。
(昭和3年から平成12年8月9日までがまとめられている。)
以下平成に入ってからの未成年者の親殺人件数( )内は未遂―きょうだい間殺人件数。
平成1年・・・5件
平成2年・・・3件―1件
平成3年・・・2件
平成4年・・・3件―(1)件
平成5年・・・4件
平成6年・・・5件―1件
平成7年・・・5件―1件(1)
平成8年・・・6件(1)―1件
平成9年・・・8件(2)―1件
平成10年・・・7件(1)―1件(1)
平成11年・・・1件
平成12年・・・5件
グラフ(1955年~1995年)によると

尊属殺(父母、祖父母、または配偶者の父母、祖父母を殺害すること)検挙数は、
全体で、1973年頃から概ね50人前後で推移しているが、
1991年で35人、1995年で75人と増加している
未成年者は、1970年初頃から概ね5人前後で推移している。
しかし
近親者による殺人・傷害が急増中
によると、1996~2005年できょうだい間殺人が3割増しの50件。
上記と大きく異なる。
成人による、きょうだい間殺人が大部分を占めている(のであろう)。
50件と言えば、ほぼ毎週となる。だが毎週のようには、報道されていない。
報道されてるのは、年に1、2件あるかないか。
かなり偏った報道をしているということが解かる。
つまり、視聴率が上がる・マ・ス・コ・ミ・ネタだけを取り上げ引っ張るだけ、引っ張っている。
そして、必ず出てくる学者・評論家・教授etc。彼らのコメントには???が付く。答えになっていない。
中途半端な答えは、助長(連鎖)させているだけではないか?
下記きょうだい間の殺人のみを『少年犯罪データベース 肉親に対する犯行』から抜粋
きょうだい間殺人は、今にはじまったことではない。
平成10年(199.6.〔中学生による殺人未遂事件〕 中学3年生(15歳)は、テレビのチャンネル争いで実兄(高校生、17歳)と口論となり、椅子を投げつけられたことに立腹し、包丁で同人の腹部を刺し殺害しようとしたが、傷害を負わせるに止まりその目的を遂げなかった。
平成10年(199
.4.〔無職少年による実姉殺人、放火事件〕
無職少年女子(18歳)は、日頃から恨んでいる実姉(会社員、20歳)を殺害。平成9年(1997).12.17〔中3が姉殺害〕
中学3年生(15)は、高校生の姉(17)が日頃から用事を言いつけることに対して不満をもっていた・・・偶然肘鉄を受けてカッとなり、首を絞めて殺害。平成8年(1996).1.〔無職少年による実兄に対する傷害致死事件〕
無職少年(17歳)は、金銭のやりとりをめぐって実兄(22歳)と口論となり、所携のカッターナイフで左大腿部を突き刺し出血多量により死に至らしめた。平成7年(1995).10.〔女子高校生による傷害致死事件〕
高校2年生女子(17歳)は、自宅で中学2年生(14歳)の実弟とファミコンゲームのことから喧嘩となり、果物ナイフで実弟の左胸を刺しショックにより死に至らしめた。平成7年(1995).1.14〔18歳が母親と姉を殺人未遂〕
無職少年(1がハンマーで母親(51)と姉(20)の頭を何度も殴り、3週間と1週間の傷害を負わせ、殺人未遂で捕まった。ひとり暮らしを反対され激昂したもの。
平成6年(1994).3.11〔中3がいじめる兄殺害〕
中学3年生(15)は、日頃から暴力を振るう無職の兄(17)に「何故、頼んでいた本を買って来ない」と言われたことに逆上し、ナタで背後からメッタ切にて殺害。平成4年(1992).3.5〔女子高生が妹殺人〕
女子高校生(16)は、中学1年生の妹(13)の陽気な性格をねたみ、包丁で刺して殺害。平成2年(1990).1.24〔17歳が妹刺殺〕
長男の無職少年(17)が小学6年生の長女(12)を殺害した。果物ナイフで妹の首を数回刺したもの。精神科に通院していた。
投稿者 sodan : 23:09 | コメント (3) | トラックバック
2007年01月11日
母親は、家庭の中で孤立している。
Benesse教育情報サイト
第3回幼児の生活アンケート報告書・国内調査
から、母親の子育ての関わりについての調査内容をいくつか紹介します。
まず、ここ10年間で大きく変化している内容として、以下のデーターを見てください。
テレビを誰と一緒に見ているか?
1歳、2歳共に、10年間で母親と一緒に見る割合が実に2倍近くにまで増えています。
子供達全体でのテレビの視聴時間は徐々に低下してきているものの、子供達が母親と一緒にテレビ・ビデオを見る時間だけは、3~6歳も概ね同じ傾向で増加傾向にあるようです。
そしてさらに!続きはボタンをクリックしてから読んでね。
また、最近の政府の少子化対策・育児支援政策では、子供を預けられる施設の充実等が積極的に打ち出されていますが、実際に母親が子供を預ける相手というのは、祖父母・親戚が8割、父親が5割とほぼ身内に限られている事が解ります。
では、上記二つのデーターから何が読み取れるか?
私はこの状況から、母親の実情は社会的に孤立している
のではないだろうか、と考えました。
共働きの増加、女性の社会進出等が目立つ現在、女性の社会との繋がりは一見深まっているようにも見えます。
しかし、子育て中の母親にとって、家庭外の付き合いは文字通り「お付き合い(社交辞令)
」のレベルに留まっており、幼稚園や小学校等を通じて繋がりあう母親間のお付き合いというのは、とても表層的な関係に過ぎないというのが実態である、という事です。
家庭、そして我が子のみへと意識は向っており、近所付き合いは極めて表層的。お互い自己中を温存したままのお付き合いの為、お互いの子育てには踏み込まず、頼りになるのは身内のみ。現代家庭、そして子育て空間は、母子共に社会的引き篭もり状態へと劣化していっている。
そもそも、子育てというのは、次世代の社会人(社会の事を考えられる人)を育てる事にこそ意味があり、家庭から巣立って
一人前に育つ事にこそ、みんなの充足があるはず。なのに、親子共々家庭に引き篭もってしまえば、いつまで絶っても巣立つ事の出来ない子供(のままの大人)ばかりが増えてしまう危険性を孕んでいます。
都市化・核家族化の進行と共に、現代の家庭は生産基盤を一切持たず、それ単独では決して生きていくことの出来ない集団になってしまった。
さらに、最近ではこの流れに拍車を掛けるかのように、父親の子育て参加までもがブームになりつつある様子。誰もが自分第一、家庭第一になってしまったら、誰がこの国を、この社会を運営して行くと言うのだろうか?
「親ばか」という言葉が、我が子を愛する良き両親、のように使われることが増えてきているように思われるが、それは大きな間違い。「親ばか」とは目先の事しか見えていない本当のばか、と捉え直すべき。自己中だらけの世の中にしてはいけない。
本当に子供の事が大事ならば、いかに対象性(相手を想う気持ち)を持たせ、どのように子供達を社会へ送り出してやれるか、を常に考えるのが本当の親(木の上に立って見守る人)の役割ではないでしょうか。
現代の生産基盤を失った家庭では難しいこの状況に対する突破口として、ヒントになる投稿を紹介します。
みんなで子育て。
を実現する為には、生産
と生殖
をみんなで担える基盤=
共同体
の構築が欠かせない条件となる。
現在の制度や規範から、どーすれば共同体の再生が実現するか?
このブログでも、是非みんなで考えて活きたい課題の一つです。
以上、かわいでした。
投稿者 kawait : 21:34 | コメント (2) | トラックバック
2007年01月01日
2007年元旦のご挨拶~充足可能性に向けて~
あけましておめでとうございます
さて、2007年の幕開けですが、今年はどんな一年になるのでしょうか?
トップバッターかわいにて、今年の充足可能性
を考えてみたいと思います。
少なくとも、昨年の時点で問題として浮上した家庭・教育関連の問題に関しては、全く解決していない、という事は抑えておきたいポイントです。そもそも、こちらのブログのタイトル「家庭を聖域にしてはいけない」は、近年の様々な社会問題の温床、あるいは根本問題として提示しているものであり、その具体的な問題意識が、「子どもたちが危ない。自己中の親・過保護な親。密室家庭は、人間をダメにする。」というブログ紹介コメントの通りな訳です。
昨年度の締めとしてiwai氏の方で当ブログの2006年アーカイブをまとめて頂きましたが、ざっと眺めるとやはり現在の密室家庭や閉じられた学校、という場は問題だらけである、という事が明らかになったと思います。
そして、さらに今年は「2007年問題」当日、となる訳です。
そもそも、2007年問題って何?
1.団塊世代の大量退職(技術継承・労働力減少・家計貯蓄減+社会保障費増、etc.)
2.大学全入学時代に突入(大学の淘汰が始まる)
3.人口減への移行(実際は2005年から減となった)
4.オフィスビルの供給過多(今年完成の新築ビル数がとても多い事による)
等をはじめとして、実に様々な問題が以前から指摘されていた年なんです。
では、これらの問題を前にして、当ブログではどのような可能性追究ができるのか?
実は、「問題」というのは全てが「可能性への収束
」に繋がっています。
今まで誤魔化し続けていた事の限界であったり、ミス・トラブルの表面化であったり、現象面だけを見ればまさに問題の嵐となる一年になるのでしょうが、それらは確実に解決しなければならない新たな外圧であり、かつ「家庭」や「学校」「企業」などの閉じられた集団単位では決して解決できない問題群でもあります。
そして、その事自体が、2007年を大きく躍進の一年とするチャンスでもあるんです。
2006年の段階で発生した、家庭・教育を取り巻く様々な問題は、その殆どが学校(先生)の責任、親の責任、個人の責任、として片付けられてしまい、問題の起こる構造そのものを核心的に追及された試しは一度もありませんでした。常に、「人それぞれ
」の問題として、片付けられてしまったからこそ、未だ腑に落ちない「不安
」だけが、人々の心の中に取り残されているのです。
しかし、今年問題となると予測されている物事は、全てが「社会問題」=「みんなの問題」そのもの。ある個人やある企業が頑張れば良い、という話ではありません。もちろん、既に支持率が下降ラインに乗っている安倍内閣には、期待できない。じゃ、家庭に閉じこもって自分だけが助かればい~や。なんて呑気な事言ってる人は、あっちゅー間に淘汰されちゃいますよ!
と、いう事で必然的に外圧が高まるであろう2007年!
しかも、『みんなの問題』がてんこ盛りとなりそうなこの一年。「家庭を聖域にしてはいけない」ブログメンバー一同、常に可能性発・充足発の発信ができるよう、心掛けて挑みたいと想います。
大人も子供も、主婦も学生も、み~んな集団の外を向き、社会問題の当事者となり、自ら問題を解決する為に立ち上がる絶好のチャンス!
「美しい国」等と言う曖昧な言葉に惑わされる事無く、「自分たちの国を自分たちで創る」為に、家庭を飛び出し、みんなで答えの供給者になりましょう!
2007年を社会統合元年とすべく、今年もよろしくお願いいたします。
投稿者 kawait : 00:00 | コメント (3) | トラックバック
2006年12月29日
びっくり(@_@)な「結婚」の歴史
あっという間に年末になりましたね~
一年経つのが年々早くなってる
感じがしているなっつんです
突然ですが、最近ネットやTVでニュースを見てても「芸能人の結婚ラッシュか
」 ってくらい毎日「結婚
」の文字を見る気がします
なぜなんでしょう。。年末だから?なのかな・・・
ところで、結婚(制度)っていつからあるんだろう・・・
離婚や未婚が激増していて今やあたりまえになってるけど、
それって 制度とみんなの意識にズレが生じてる ってことなんじゃない の
ってことで、結婚制度っていつできたの?なんでできたの? 気になるので調べましたよ~
応援もお願いします
【びっくり
結婚の歴史】
縄文時代から昭和10年から30年頃まで庶民の生活の中で受け継がれてきたのが、
夜這い婚などの集団婚。
それらは、村単位で性の充足を高めるシステムになっていて、男女老若既未婚をとわず、性の役割が与えらていたんです
子育ては、父親が誰であっても関係なく母親が育てる。子どもは村の規範の中で育てられ、性は村の集団維持のための課題だったのです
へぇ~
次に、貴族や上位層の武士は 一夫多妻・一夫一婦制 をとるが、基本的には政略結婚です
結婚は個人の課題という現代の感覚からすると、無理やり嫁がされてかわいそう
って気がするけど、これも集団維持のための婚姻だったんです
貴族の娘も、いい家柄に嫁げるように家庭教師を招いて、教養を身につけるのが役割だった。娘自身も教養あるおしとやかな女性になることを、目指してたんですね
そして、昭和の30年から45年くらいまでの結婚制度も、基本的には家
という基盤を背後に持ちながら、恋愛結婚という形をとっていました。
この源流は、武士や貴族の婚姻制度にあり、かなり社会との関係は薄れるけど、まだつながり
を保っていた時代だと思う。
ということは、それ以降~今までの50年を除けば、性は社会とつながっていて、社会の中に性に対する期待があったんですね
だから結婚制度も成り立ってたのかー
で、今の結婚制度は・・・社会とのつながりがまったくなくなった個人の課題になってしまってる
今の結婚制度にはしょせん親の期待(?)くらいしかないよね。。
次は、じゃあ 新しい婚姻制度ってどんなの~
ってとこが気になります
どなたか、教えていただけませんでしょうか
よろしくおねがいします
投稿者 kado : 21:23 | コメント (0) | トラックバック
2006年12月28日
60歳を過ぎても仕事をしたい
読売新聞12月20日より紹介します。
50歳代の人の70.9%が60歳代以降も仕事をしたいと考えている事が19日、厚生労働省の中高年者縦断調査でわかった。そのうち64.4%は「可能な限り仕事を続けたい」としており、厚労省では、「生活に不安を感じる人と、まだまだ働けると考える人の双方が多いのだろう」と見ている。
昨年11月に全国の50歳代の男女約3万4千人から、健康、就業、社会活動などについて回答を得た。60歳以降も仕事をしたいと考える人は、男性が82.1%に対し、女性は60.4%だった。
その一方で、社会活動については、「近所付き合い」をふだんから行なっている人は女性が67.9%に対し、男性は52.1%。「友達付き合い」も女性81.6%、男性70.7%と、女性の方が積極的だった。厚労省は、「今は定年前で、社会活動に参加できる男性が少ないのだろうが、今後、どう変わっていくか注目したい」としている。
「仕事をしたい」と言う意識に対して、何か否定的な論調だと感じるのは私だけでしょうか
>生活に不安を感じる人と、まだまだ働けると考える人の双方が多いのだろう<
とは、仕事は(強制されるもので)したくなくなるのが当たり前、という前提に立った見方でおかしい。
>今は定年前で、社会活動に参加できる男性が少ないだろうが、今後、どう変わっていくかに注目したい」としている。<
も同じような見方を感じる。
仕事をする=人の役にたつのは、人の根源的な活力源なのだから、ずっと働きたいというのは当然の意識だと思うのですが。どうでしょう。自分発の「やりたいこと」や、対象不在のチンケな「社会活動」では活力はあがらない。また、家庭の中でもかつての「隠居」と違って今や居場所はありません。
私の父も70歳を過ぎましたが、頼まれるままに働き続け非常に元気です。
投稿者 fwz2 : 21:42 | コメント (0) | トラックバック
2006年12月23日
中学生の親子関係はどうなっているのだろうか?
巷では、いじめ問題や学級崩壊、青少年犯罪などが取り立たされているが
中学生の親子関係はどうなっているのだろうか?
Child Research Net ■モノグラフ・中学生の世界 特別号
より
2004年 アンケート結果では、
親と会話もあり、親との関係もうまくいっていると答える中学生が多くを占めている。
(以下編集)
●親子間の会話状況
「よく+ときどき」話をしている割合
・父親とは・・・68.2%
・母親とは・・・87.0%
特に母―子の関係が中心となっているようであるが、家族の間で良好なコミュニケーションが保たれていることがわかる。
●親との関係について
「とても+かなり+やや」うまくいっている割合
・父親とは・・・77.7%
・母親とは・・・87.4%
それなりに親との関係がうまくいっていると回答していることがわかる。
(編集終わり)
これだけを見ると何の問題もないように思えるが、
(以下編集)
■どのようなことをしたら、親は叱ると思うか?
●「ぜったい叱る」の割合
・夜01時すぎまで、外で遊んでいたら・・・79.1%(50%を超えたのはこの項目だけ)
・『宿題を忘れることが多い』と先生から家の人に注意されたら・・・32.9%
※全般的にその比率は低い。
●「たぶん叱らない」と「ぜったい叱らない」を合わせた割合
・近所の人に会って、あいさつをしなかったら・・・58.4%
・朝、家族と会っても『おはよう』と言わなかったら・・・70.8%
・先生の言うことを聞かなかったら・・・44.5%
・夜01時すぎまで、外で遊んでいたら・・・7.2%(も親は叱らないだろうと考えている。)
(以上編集終わり)
これらの数値から、大概何をやっても叱られないと思っている中学生がかなりの割合でいることが読み取れる。
一見、親子関係がうまくいっている中身は、単に過保護空間、ぬるま湯空間をつくりだしているだけで、自己中の増産の原因が、まず家庭にあると言えよう。
また、フリーター、ニートの増加が示しているように、自分にとっての居心地のいい空間=家庭でしか生存できなくなってしまっている若者をつくりだしている。
byニシシン
投稿者 sodan : 22:51 | コメント (1) | トラックバック
2006年12月16日
家庭の教育力が低下したって、本当?
みなさんは、“学級崩壊”“いじめ”などの学校での事件や問題を見て、最近は「家庭の教育力が低下した」とか「今の若い親はこどもをしっかりしつけていない」と思っていませんか?
実は、私も最近までそうだと思っていたのですが、どうもそれは事実ではなく、マスコミによって作られた間違った固定観念のようです。
では、現在の家庭の問題点、社会の課題はなんなのでしょうか?少し前の共同体の子育て・しつけと、現在の子育て・しつけの違いから、考えてみます。
参考:『日本人のしつけは衰退したか』(広田照幸)
●共同体の中のしつけ(共同体⇔家庭⇔子ども)
多くの人々が農業や漁業などの生産を生業としていた時代には、家庭は生産と消費と一体となった場であり、その生産活動は地域の共同性に支えられていました。
そこでの子どもは将来、家業を継ぐ存在であり、同時に地域の共同体をまとめる役割を担う存在でした。
子供を産んだ母親は、嫁として農作業や夜なべ仕事で休みなく働くので、子育ては働けなくなった年寄りや年長の子供が子守りや世話をしました。少し大きくなれば、奉公先や共同体でしつけをしてもらう。
共同体の中でどうふるまうか、その規範を教えたのは親ではなく、共同体全体でありその青年組などでした。だから、礼儀作法をはじめとして社会的に必要な規範の多くは、家庭の外で身に付けるものでした。
共同体で育てるという暗黙のルールがあったから、家庭でのしつけは、地域社会でのしつけもでもあった訳です。子どもたちもどこでも社会の規範を覚えられたし、親も子育て・しつけの仕方に迷う事は無かったようです。
●現代家庭のしつけ(社会(分断)家庭⇔子ども)
大正期頃の新中間層から「小さいうちからちゃんとしつける」という、教育的配慮に満ちた育て方が登場しました。戦後しばらくは、そういうしつけは「民主的しつけ」などと呼ばれていましたが、高度成長期頃を過ぎた70年代には地域や家庭による階層差が小さくなり、どの家族も、子どもを小さいときから教育的配慮の対象にしていく「教育家族」になりました。
地域共同体は崩壊し、家庭は地域社会と切り離された個別の存在となり、いわゆるサラリーマン家庭(核家族)が多くを占めるようになりました。
この家庭は生産の場と切り離され消費だけの場であり、そこには家業を継ぐという課題はありません。子どもの成長は、唯一家庭のためであり、そのための子育て・しつけは家庭が一身に担うようになりました。
─────────────────────────────────
こうしてみると、現在は「家庭の教育力が低下した」「今の若い親はこどもをしっかりしつけていない」のではななく、むしろその逆だと気付きます。現代は、家庭が何もかもしょいこみ、親のしつけや教育が子どもの将来を決定するかのように考えています。
長い間、つい最近まで、子育てやしつけは、誰もが共通課題を担う共同体という社会的な場で、みんな課題として行なわれてきました。それが、70年代を境に、個別の家庭や母親・父親が全てを決定するものに変ってしまいました。少年犯罪がマスコミに登場するのはこのころからです。
そうであれば、「密室家庭」が子どもたちを囲い込み、教育やしつけを独占している限り根本的な解決にはなりません。「家庭を聖域にしてはいけない」のだと改めて思います。
(さいこう)
投稿者 sachiare : 17:56 | コメント (4) | トラックバック
2006年12月09日
結婚退職の理由第1位は転居!?
またまた、平成18年版のhttp://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h18/01_honpen/html/06sh020201.html国民生活白書を読んでみました
首都圏30km圏の満20~49歳の既婚女性に対するアンケート結果
なのですが、結婚退職した理由の
ダントツ1位
が「転居」

実感としては、私の周りでは転居が理由で退職ってそんなに聞かないんですけど、実際そんなに多いんでしょうか?
他府県への引越しとか物理的に通えなくなるのなら分かるんですが
ただ、パート・アルバイトの人は家が遠くなっても通い続けるより、新居の近くで探そうっていうことになるケースが多いと思うので、パート・アルバイトを含んでのアンケートなら納得です
でも、国民白書ではこのグラフが出てくるまでに、いかに女性が働き続けたいと思っているか、それなのに、結婚・出産した女性が働き続ける環境が整っていない、ということを延々延べてきたはずなのに、結局、退職の最大の理由が転居って・・・
それって企業側の問題ではないですよね
国民生活白書では女性のライフスタイルに合わせて、企業側の姿勢がもっと柔軟になるべきだと考えているようですが、それってどうなんでしょう
だって、結局は転居で辞めちゃうんですよ
本当に結婚生活と就業の両立が難しくて悩んでいるなら、共同保育など有用な案も出てくると思いますが、結婚生活を優先した上で働きたいというワガママに国や企業が付き合うメリットなんてないでしょう
みなさんはどう思いますか?
個人的には、「親の反対」という理由も気になっています。私は、もちろん相手の親だろうと解釈したのですが、自分の親って可能性もあるんですよね
同居するからとか、介護が必要とか
子どもの就職活動を手伝う親がいるぐらいですから、いろんな理由で反対する親がいても、おかしくないですね
投稿者 mikawaya : 14:06 | コメント (2) | トラックバック
2006年11月29日
一対婚家族の起源

昨日のエントリー 母系制と父系制 の続きです。
11/26(日)なんでや劇場の内容から。
現在の一夫一婦制=一対婚家族は、人類史のどの段階で、どのようにして登場したのか?
約6000年前の西アジア、遊牧部族において、人類初の掠奪闘争=戦争が始まった。
●掠奪闘争の玉突き→本源集団の解体→武力支配
ひとたび侵略・略奪がはじまると、周辺部族もたちまち掠奪闘争に巻き込まれてゆく(滅亡するか、自ら掠奪部族となるか、僻地へ逃げ落ちるかのいずれかしか選択の余地はない)。
★掠奪闘争は、数百年の間に部族から部族へと玉突き的に拡がり、ほぼ全ての本源集団が破壊されてしまった。
掠奪闘争の玉突きにより、不安定な戦国時代が続く。しかし、生物原理の根底には、「安定収束」=秩序化・統合のベクトルがある。つまり、頻繁な戦闘は望まない(厭戦)、服属でも安定(平和)を望むようになる。侵略・略奪の勝ち抜き戦を通じて、次第により強大な武装集団(→帝国)の下に統合されてゆき、力の原理によって安定・秩序化を図ってゆく。
★安定・統合するには力しかない=力による制圧、これが全ての武力支配国家の原型である。
※「力」とは、「武力」とそれを支える財力・生産力・資源etc
(現在のアメリカがやっていることも、全く同じである)
●「力による制圧」=武力支配が成されると、どうなるか? 婚姻制etcの集団規範はどうなるか?
●私有婚から私権の共認へ
★掠奪闘争の玉突きによって本源集団が解体され、性の相手を定めた婚姻規範が消滅した結果、性=婚姻は、私的選択or力関係(性闘争)に任されることになる。
武力支配が成されると、戦乱は半安定状態=(戦争)外圧は低下し、男たちは解脱収束し、性の発散欠乏を肥大させてゆく。一方、女たちは、部族連合の他集団に嫁入りするかたちであり、より大きな不安から強く私有意識→性的自我に収束してゆく。上記関係から、女の性に強い価値=性的商品価値が生じる。男たちの性的需要に対して、挑発しつつ供給制限を行うことで、性的商品価値はつり上がってゆく。(古バビロニアでは「婚資」は銀500g≒月収の約40ヶ月分であったという)
★このようにして、私有財産の力で女を買い取る=私有婚が成立した。
★私有婚の成立と同時に、私有権(ex.土地の占有権)が共認されてゆく。
掠奪闘争を勝ち進んできた部族は、最後に豊かな土地を手に入れ農耕小国家に転じてゆく。元々、土地は部族の共有物であり、男たちの役割分担によって管理されたはずであるが、ここではたちまち「占有権」に変質してゆく。これは、私有婚家族発の私有要求が貫徹され共認されたことを意味する。(既に古バビロニアでは土地の売買の記録が残っている)
★そして、社会の全ての財は私権(占有)の対象となり、人々は私権を確保しなければ生きてゆけないという、私権統合社会ができあがった。
●一対婚家族の成立
私有婚家族が社会の最基底の単位として共認され、土地や財の私有権(占有権)が共認されると、次はその私有財産の相続が問題となる。戦死する男がいなくなると、世代交代のたびに(解脱収束し性欠乏が肥大した)息子たちに土地を分割して与えざるを得ず、そうなると多数の妻を養うことができなくなり、必然的に一夫一婦制となってゆく。
★こうして元々の遊牧部族の勇士嫁取婚は、私権(占有権)に基づく一夫多妻制へと変質し、数世代のうちに一夫一婦制=一対婚家族へと移行した。
(一夫多妻と一夫一婦は対照的なもののように言われることがあるが、私権で女を買い取る=私有婚であるという本質は全く変わらない)
コチラもあわせてご覧ください。
11/26なんでや劇場レポート1「遊牧の発生→父系制へ⇒力の原理への転換」
11/26なんでや劇場レポート2「掠奪闘争の玉突き⇒力による制圧」
iwai
投稿者 staff : 17:58 | コメント (4) | トラックバック
2006年11月28日
母系制と父系制

(ニホンザルの母系社会模式図。「ニホンザルの社会と生態ver.2003」より)
11/26(日)なんでや劇場で勉強してきましたので、その報告も兼ね、テーマ:家族のかたち~母系制と父系制について書きます。
人類集団と家族形態の歴史的変遷を見る上で、「母系制から父系制への転換」は重要なキーワードです。
※母系制:集団Aの女と集団Bの男が婚姻を結ぶ際、集団Bの男のほうが集団Aに移籍する。
※父系制:上記とは逆に、集団Aの女のほうが集団Bに移籍する。
哺乳類は一般的に母系制である(チンパンジー除く)。人類も文明以前の共同体社会においては、母系制であった。すなわち、自然の摂理。それが、(現在見られるように)父系制へと転換した。
それは、いつ? なぜ? どのようにして?
転換の契機となったのは、「遊牧」という生産様式です。
●遊牧のはじまりと父系制への転換
定住型の牧畜では増え続ける人口を維持できない。自ら草地(家畜のエサ)を求めて移動していったほうが、数倍の家畜を飼うことができる。つまり、人口増加に対応するため移動しながらの牧畜=遊牧へと移行した。
最初は、定住牧畜の拠点(母系集団)から、男たちだけの小集団が遠征するかたちで、女はついていかなかった。
次に、遠征部隊はルートを拡大し徐々に拠点に戻らなくなる→別の拠点をもつようになる。すると、もともとは拠点にいた女も連れて行くようになる。つまり男集団の中に母系集団の女が入るというかたちに(女移籍のはじまり)。当然、そこで子どもも生まれる。
そして数世代後には・・・女はよその集団から嫁取りするというかたちに。
★このようにして、母系制から完全な父系制へと転換した。
●父系制に転換するとどうなるか?
女たちは生まれ育った集団から移籍することになり、深い安心基盤は失われ、共同意識も低下する。
女が移籍する際は「持参財」(家畜)をもって行く。女たちは、この持参財の良し悪しや実家の家柄により評価されることになる(扱いが変わってくる)。したがって、この持参財は(意識上は)私有財産に近いものとなる。
★「共認充足が拠り所」から「モノが拠り所」に。蓄財意識が芽生える。
★「共有財産」から「私有財産」への意識上の変化が生まれる。
(それまで全てのモノは集団所有=共有であった)
↓
★男たちには、女たちからも母集団からも「豊かな生活期待」(もっと家畜を、もっと縄張りを!)がかかるようになる。結果的に集団全体が、「自集団の利益第一」という意識に染まってゆく。
●そうなると・・・集団統合はどうなるか?
※ボスをどのように決定するか?
母系制の首雄集中婚では、女たちの評価によりボスが決定される(強者収束本能に基づく女共認=評価)。
しかし父系集団では、共認充足の基盤喪失と利害意識(自分にとって都合のいい男をボスにしたいという欲求)があいまって、女たちの評価が一致しない。また決定されたボスにも自然に収束できないということになる。
また集団全体が、自集団の利益第一に染まっているため、縄張拡大能力(≒蓄財能力)が高い男が台頭する。結果、男たちの不満→冷戦状態も生じる。
★要するに、女たちにとっても、男たちにとっても、スッキリしない状況になる。
(女たちの間にも、男たちの間にも軋轢が生じており、評価共認がスンナリ成立しない)
★したがって、男同士の力関係⇒「力の原理」でボスを決定、集団統合するしかない。
↓↓↓
■遊牧発の父系制転換は、集団統合を「共認原理」から「力の原理」へと移行させた。
↓↓↓
■集団全体(部族全体)が「力(財)」をいかに蓄えるかという意識に収束してゆく。
↓↓↓
■そして約6000年前、急激な乾燥化による飢饉が引き金となって、ついに人類初の略奪闘争=戦争が始まった。
「母系制から父系制への転換」、これが人類の歴史を大きく変えてしまうことになったのだ。
コチラもあわせてご覧ください。
11/26なんでや劇場レポート1「遊牧の発生→父系制へ⇒力の原理への転換」
iwai
投稿者 staff : 17:05 | コメント (3) | トラックバック
2006年11月13日
出生率1.8に回復!?~こんないい加減な予測でいいの?
産経新聞11月11日の記事で、厚生労働省が「新人口推計」を年内に出す方針を固めたそうです。
これがなんと
出生率を1.8程度まで回復するという“見込み”で試算するそうです。
因みに、平成17年度の出生率が1.25です。
なんでそんな実現できそうもない数字を用いるかと言うと、「少子化に歯止めがかかる社会の姿を示すことで、少子化対策の機運を高め、具体的な施策を見いだすのが狙い」とのこと。単なるスローガン!?
実は、その根拠?も
ちゃんと?あって、
夫婦が“理想”とする子供の平均数が2.48人で、
実際に持ちたいと考える“予定子供数”も平均2.11人。
だが、経済的な理由などによる理想と現実のギャップは大きい。
また、独身者のうち将来結婚を考えている人は男性87%、女性90%にのぼる。
厚労省は有効な対策を講じれば、ギャップの大半は埋まり、合計特殊出生率の1.8程度への回復は可能だと分析
こんな分析は何の根拠にもならない。少子化の主原因を「経済的な理由」においていること自体が誤り。
貧困に苦しんでいた戦前・戦後の“子沢山”をどう説明するの???
原因分析がきちんと出来ていないのに、その解決策など出せるわけがない!!
“理想と現実のギャップ”が大きいのは、寧ろ官僚や学者の方だ!
少子化の原因は当ブログでもiwaiさんが、扱っているし↓
「少子化の本当の原因は? ⇒個人主義とセックスレス」
るいネットでも「子育てどうする?」などであつかっていて、
これをみると、素人による分析の方がよっぽど確かだ!と思う。
投稿者 sashow : 18:50 | コメント (8) | トラックバック
2006年10月27日
生活保護の実態ってどーなってるの?
先日、と~っても元気なお婆さんに出会いました。
70歳をゆうに超えているのですが、しっかりとお仕事をされている模様。
「役割がちゃんとあるっていいですよね~。」
と話しかけると、威勢の良い返事が返ってきました。
「あたしゃ、生きてる間はちゃんと自分の手で稼いで食っていくって決めてるんだよ。日本は年寄りを甘やかしすぎだ。仕事がありゃ、誰だって元気に暮らしていけるんだから!」
とまくし立てて、元気な婆さんはおかしいかい?と大笑い
。めっちゃ活力を貰いました。
そんな元気なお婆さんとの出会い
を期に、日本の社会保障制度の実態を探ってみました。
続きを読んでみたい!と思った方は、まずクリック
日本の生活保護率及び保護世帯数の推移を見ると、1993年以降右肩上がりに上昇中。
保護世帯数は2005年に100万件を突破。なんと、戦後最大数にまで増加しています。
被保護世帯の内訳をもう少し調べてみると、
被保護世帯を世帯類型別に見ると、障害者世帯・傷病者世帯、母子世帯、その他の世帯は1980年頃から1990年代半ばまでは減少傾向にあったが、バブル崩壊による経済の悪化によって増加に転じている。被保護世帯の中で、高齢者世帯は趨勢的に増加しており、1980年度は全体の30.2%であったが2004年度には46.6%とほぼ半数を占めるようになっている。
とあるように、一見高齢化社会故の現象?とも捉えられます。
しかし、バブル崩壊による経済の悪化と言っても、1970年以前の日本と比べても貧しくなった、と言えるのか?
答えは否。そんな実感は誰も持っていないでしょう。
高度経済成長による豊かさの実現以降、人々は目先の私益だけを追ってバブルという幻想を膨らませてきたが、バブル崩壊によって完全に目標を見失い、いよいよ自分第一の活力源(私権)の終焉を向える。そして、活力衰弱の結果として就労意欲さえも失った世帯が年々増加してきた、という事ではないでしょうか。
さらには、国による弱者の囲い込みという福祉政策により高齢者の役割を奪い、社会的引き篭もり(家庭内への弱者の閉じ込め)を増幅させ、結果的に財政圧迫によりみんなの活力をも奪っていく、という悪循環により、二重の活力衰弱を引き起こしている。
要は、生活保護率増加の本質は景気の悪化ではなく「活力衰弱」の問題であり、福祉の名の元で金のばら撒き政策をいくら続けたところで、活力衰弱の流れは止められない、という事ではないだろうか。
しかし、高齢化=生活保護、というのはあまりにも短絡的。むしろ、高齢者に失礼ではないか!という事で意外な事例を発見!
この統計によると、1950年時点で65歳以上の労働力率はなんと50%、そこから緩やかに低下しているものの、先進諸国の中では極めて高い数値で推移しており、2000年時点でも34.1%もの方が現役で働いていらっしゃるのです。
冒頭の元気なお婆さんの事例は、実はそれ程稀な事ではなく、まだまだ役割を求めて、あるいは役割を担っている年輩の方々が、実はこの日本には沢山居るんだ、という事実にもっと注目して行きたいところです
。
家庭の内に篭れば、みんなの活力を奪う自己中化が進行するだけ
。
街に出て、みんなの期待に耳を澄まし、みんなで応え合う、担い合う関係を築いて活きましょう
投稿者 kawait : 21:46 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月26日
親元が居心地イイ!独身男女たち
「独身男女の親との同居比率」(社会実情データ図録)によれば、2005年のデータでは独身男性は年齢に関わらず約70%が親と同居しており、独身女性は10代を除き約80%が親と同居している。
20代、30代の独身男性であればほとんどが仕事をしているはず。このように親との同居率が高いのは、「家事をしなくてもよい」「家賃がいらない」「給料を自由に使える」といった居心地のよさ
が考えられます。
また同居率の推移について注目してみると、30代の女性の同居率が1982年の65%から一貫して増え続け、2005年には80%まで上昇している理由も上記と同じだと考えられますが、20年前と比べて何が変わったのでしょうか
その一つは社会意識の変化だと考えられます。20年前では社会の結婚に対する意識は今より高く、20代ならまだしも30代にもなって結婚もしていないというのは、親にとっても世間体が悪い
という意識があり、親元には居づらかった
と考えられます。反面現在は、未婚率の上昇を背景に30代でも結婚しない女性はどんどん増えており、結婚していないことに対する社会的な劣等感などほとんど感じないというように社会意識が変化しています。
男性も女性も、結婚意識の低下とともに社会から何の圧力も受けることなく居心地の良い親元にいつまでもしがみついている。また親も他に課題がないのでいつまでも我が子の面倒を見れる喜びから無条件で受け入れてしまう。しかし、動機が「結婚」という束縛から逃れ、自由な生活を求めているだけの親元は、自己中の温床
でしかないのではないだろうか。
byヤマナ
投稿者 hiroaki : 20:14 | コメント (2) | トラックバック
2006年10月18日
家庭と社会?
社会の教科書みたいなテーマですが・・・・・
家庭で、子供に社会のことを語っていますか?
「しっかりしないと世の中に出ていけない」
「勉強しないと社会で通用しない」
思いつくのはこんな言葉しかない・・・・・
これじゃ、子供達も聞く耳持たない・・・・現に私の息子と娘が聞く耳持たない
家庭で唯一社会と触れるツールといえば「テレビ」
ニュースをはじめ、家庭外の情報はテレビでしか受信できない。
テレビ脳まっしぐら
クリックして、続きを読もう!
このブログのタイトルのように、家庭が聖域であり密室だから外部情報受信がテレビしかなくなる。
核家族が主流の現在、子供の行動範囲は、家庭→学校→塾→家庭
学校や塾が外部との接点ではあるが、そこは子供ばかり。
社会の入り口とはいえ、チト遠い。
そこで、家庭にいる大人(=パパ+ママ)の役割が重要になる。
親を通して社会を感じる。
親が社会について語る。
今、親が意識しなければならない役割でしょう。
10・20年前のマイホームパパ世代は
「仕事を家庭に持ち込むなんて最低!」(死語?
?)
言われて来ましたが、いまやそれも大いに結構じゃないでしょうか?
子供の前で、書類に向かって奮闘しているお父さんの姿=社会でしょ?
いかがでしょうか?
そもそも「社会って何?」という若いパパやママもいるかもしれませんので紹介しておきます
「共認を「変える」ではなく場に「参加する」」(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=133421)
「有閑層の社会収束の度合い」(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=132379)
「認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である」(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=32087)
by kintoun
投稿者 gokuu : 20:51 | コメント (1) | トラックバック
2006年10月11日
40、50代の活力再生は最重要課題
高度成長期以降、高齢者や若者の自殺率は目立って低下し、日本の自殺率水準は中位となった。
1955年と1995年の対外比較をすると以下である。
自殺率-10万人当たり自殺死亡数-
1955年 日本:25.2 米国10.2 仏15.9 独19.2
1995年 17.2 12.0 20.8 15.8
ところが、長引く経済不況や失業率の急増、日本型経営システムの制度疲労などに伴って、1998年以降、各年齢で自殺率が上昇し、特に中高年の自殺率が他の年齢層と比べて非常に高いという構造が日本の特徴となった。日本の年齢別自殺率は50歳代後半の71.1人をピークに山形となっており、高齢に伴う自殺率上昇の減少は70歳代後半からみとめられるのみである。 「年齢別自殺者の長期推移」社会実情データ図録より
自殺率の年齢構造が失業率の年齢構造とリンクしていることがよく言われますが、近年ではそうとも言えず、失業者はどんどん低下傾向にあるのに対して、自殺者数は横ばいの状態です。
全体に占める割合は40、50代の比率が圧倒的に多く、ほぼ50%を占めている。この傾向は、米国やフランス、ドイツ、イタリアなどヨーロッパ諸国が、60歳代未満ではほとんど自殺率は一定であるのと比較しても、極めて特異な年齢構造であることが分かります。
遺書があるもののうち40、50代の自殺が50%近くの原因・動機としてあげているのが、経済・生活問題であるが、その中身についてはあまり分析されていない。失業率と自殺率の相関関係から、職を失ったことによる生活苦での自殺が増えているというのが一般的な見方であるが、実際には、40、50代の年収比率はそれ以下の年代と比較してかなり高く、生活苦からだけでは説明がつかない。
モノ、金、地位に収束してきた世代だが、今最もリストラされているのもこの世代。
金はあっても、家庭での居場所がないとか、社会に対する役割充足が得られずに疎外感を感じずにはいられないという状況が、実態なのではないだろうか。私権に代わる新たな活力源が今まさに求められているのが、この40、50代の世代なのだと思う。
投稿者 postgre : 22:09 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月10日
自殺率は社会状況によって大きく変化してきた
最近のマスコミで、若者の自殺が増えているといった報道がされているようですが、データを仔細に見ると全く違う状況であることが明らかです。
日本の自殺率の長期推移を見ると以下のような特徴があります。
・1936年に日中戦争がはじまるまで自殺率は穏やかに上昇していたが、戦争がはじまると国家総動員体制のもとで一気に減少した。
・敗戦直後から高度成長が始まる1955年頃までの期間は急増し、当時の主要国の中で一番高くなった。
・高度成長が始まると、低下しはじめ1970年頃まで継続して低下。
・その後、1974年のオイルショック以降増加に転じ、83年頃の景気悪化でさらに上昇したが、バブル景気の時期は低下。その後、98年の金融危機以降急増し、以降先進国の中で最も高い自殺率になっている。
確かに、最近の自殺率の高さは特徴的と言えるようです。
次に、自殺率を年齢別に見ると以下のようになっています。
図 年齢別自殺率(男子のみ)の長期推移グラフ
・日中戦争までの時期は年齢の高い世代ほど自殺率が高く、戦時中も全ての年代で自殺率が低下。
・戦後の時期は20代の若者の自殺率が急増。当時、主要国の中で最も高い自殺率となった原因は若者たちの自殺であったことが明らか。
・高度成長が始まると、若者の自殺率は一気に下がり、70年以降は年代別に見て最も少ない。
・70年以降、経済情勢の悪化の度に自殺率が増えたが、その中心は50代、40代、60代といった中高年だった。特に、98年の金融危機には50代の自殺率が急増し、以降年代別の中で最も高いレベルになっている。
データを見ると、若者の自殺率がとりたてて高くなっているわけではなく、むしろ、50代を中心とした中高年の自殺率が高いことが分かります。
かつて、第二次大戦の敗戦後の時期は、将来の展望が見えない中で若者の自殺率が急増したが、現在のパラダイム転換の下では中高年の自殺率が高くなっているのが特徴的です。
もう一つ言えることは、戦時中、国全体の目標が明確になった時期や高度成長が始まり社会全体が豊かさを求めて一丸となった時期は自殺率が低下していることです。
これらのことは、人間にとって共認が必要なことを示唆しているように思われます。現代の密室家庭では、生きる目的すら見つけられない、という事を中高年世代の自殺数が物語っているのではないでしょうか。
by わっと
投稿者 postgre : 20:39 | コメント (2) | トラックバック
2006年10月02日
世界で最も賢い人・・・
って誰だと思いますか?(^^)
東大生?芥川作家?ノーベル賞受賞者?大統領?
世界で最も賢い人、それは、赤ちゃんです!!
生まれたての赤ちゃんは、最初は、泣く・食べるなど、生きるうえでの基本的なこと以外は何も出来ません。
でも、その後数年で、手足を動かして色んなことが出来るようになり、言葉を覚えて会話が出来るようになり、相手や周りの状況を正確に捉えて判断できるようになります。
これって、すごいことでしょう?(*^0^*)
では、赤ちゃんはどうやってこんなに急激に成長するのでしょう?
赤ちゃんは、人の顔をじっと見ます。ささいな反応も敏感にキャッチします。
この成長過程は、人類の観念回路の形成過程、
>相手の表情やしぐさをじっくり見て、その情報を統合して、相手の気持ちを読み取ることが、知能の発達になるんだって!
>極限状態の人間は、そうやって少しずつ少しずつ賢くなった。どうやったら食べ物が少しでも多く取れるか考え、それを実現しようとがんばった。その積み重ねで、やがて道具を開発したりできるようになった。
と同じなんです!!
進化ってすごいですよねぇ~☆.。.:*・°
にしんそば
投稿者 staff : 20:47 | コメント (0) | トラックバック
2006年09月20日
自己中は集団的免疫機能をも破壊する
自己中の危険性について投稿が続いているので、集団にとっての「免疫機能」と自己中との関係を考えてみました。免疫機能とは、個体内部にて外部からの病原体などの攻撃に対する抗体として働く事が一般的に知られていますが、以下のように個体を超えて集団(種)を守るシステムとしての働きがあるからこそ、人類は長い歴史を生き延びてこれたのです。

大家族制度で知られる飛騨白川郷には、下記のような風習がありました。
< 仕事を終えて家に帰ってきた母親は、まず泣いている赤んぼに乳を飲ませる。それは誰の子でも差し支えない。その赤んぼ満腹して泣きやみ、まだ乳が出る場合には自分の子に飲ませる。だが、前の子に充分飲ませるために、自分の子が飲み足りないことがある。すると次にやってきた母親に自分の子供を渡して、乳を飲ませてくれと頼み、また働きに出かけていく、といったふうであった。(るいネット「共同体では、子供はみんなで育てる。」より)
そして、母乳には次のような免疫伝達機能が備わっている。
< 2.母乳を通じて、継承される抗体(IgA)
IgAは鼻、眼、肺、消化館など、粘膜で覆われた体表面から微生物やウィルスが進入するのを防ぐ働きをします。IgAは分子量が大きく胎盤を通過できませんが、生後母乳を通じて新生児に継承されます。特に出産後最初に出てくる初乳は特別で、ふつうの母乳にくらべてたんぱく質が多く、脂肪と糖が少ないことに加え、IgAが非常に多く含まれています。(るいネット「母子を通じて受け継がれる免疫環境」より)
この様に、免疫機能とは、常に種として、あるいは集団として生きて行く為に必要な抗体を、集団内の個体相互に渡って授受する事で、最大の防御システムとして機能していたのだろう。
また、日本古来の村落共同体には、集団的免疫機能としての様々な集団規範が存在していた。
夜這い婚や、結い・モヤイ、あるいは掟破りに対する村八分や出入り禁止など。
それら不文律から成る諸規範は、村の者全員が充足できる仕組みとして、集団を破壊に導くような性闘争を封鎖し、自己中を集団外へ追放するなどの仕組みとして、村全体・集団全体を守る免疫システムとして機能していたのだろう。
このような集団を守る為の免疫システムは、現代の家庭においては完全に失われていると言っても良い。
家庭が聖域となっている限り、親から子への免疫伝達は単一のものとなり、家庭内で刷り込まれる規範も偏ったものとなってしまう。ましてや、母親が自己中である限り、その子は自己中が当り前のものとして、この世に送り出されるしかないのである。
種として、集団として生きて行く為に必要な「免疫システム」再生の為にも、自己中は真っ先に封鎖しなければならない。
**************************** written by kawai
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2006年09月14日
少子化の何が問題か? ⇒集団、社会の適応力衰弱が問題である
**************************** written by iwai
今日も少子化問題の追求の続きを。
少子高齢化問題・・・子どもが減る→人口が減ると何が問題なのでしょうか?
・少しくらい減ったって、別にかまわないんじゃない?
・むしろ、今の日本は、人間が多すぎる!
(環境問題も酷くなるし、電車も混むしetc・・・)
という人もいます。
しかし、果たしてそんな楽観的でいいのか?
私は、少子高齢化はやはり『問題』だと思います。根拠は以下の2点。
1.産業・経済活力の低下⇒財政破綻の危機
・将来の働き手が少なくなると、各産業の生産力は衰弱します。
(GDPは縮小し、国際競争にも負けていきます)
・そうなると、税収も減少し、財政は破綻します。
・年金なんかは、少子高齢化の進行により、確実に破綻が早まります。
政府が少子化対策にやっきになっているのは、このためです。
これに対して、フリーター・ニートや女性や高齢者がちゃんと働けば、産業・経済への影響はさほどない、という反論もありますが、少子化が進む限り、経済活力衰弱→財政悪化は避けられないと思います。
とまあここまでは、いろいろなところで言われていること。
むしろ、少子化で本当に問題なのは、以下の点です。
2.新しい意識潮流が顕在化しない(類的生産力の低下)⇒社会活力、時代適応力の衰弱
・新しい世代が登場しなければ、古い意識にとらわれた時代遅れの世代が集団、社会を牛耳ることになる。
・新しい潮流(=新しい可能性)が顕在化しにくいということは、集団、社会の停滞=活力衰弱、すなわち時代適応力の低下に他ならない。
・例えば、企業という集団で考えてみればわかりやすい。中高年ばっかりで若手がいない組織に将来はあるか? 次代を切り開いていく力はあるか? いずれ時代に取り残されていく可能性が高い。
・社会、国という次元で考えても同じで、老人政治家が老人有権者にこびへつらっているようでは、社会は変わりようがない。
iwai
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2006年09月13日
少子化の本当の原因は? ⇒個人主義とセックスレス
**************************** written by iwai
昨日は少子化問題に関するエントリーでしたので、今日は続きを。
世の中には、少子化問題を経済的負担(要するに、お金)の問題だ、と考えている変な人たち(政治家・官僚・学者・マスコミ等)もいますが、「お金がもらえたら子どもを産むのか?」と問われれば、「そういう問題じゃないんですけど」と答えるのがふつうの感覚だと思います。
それに、昔はみんな貧乏だったのに子だくさんだったことの説明がつきません。
→※データーに見る日本の少子化対策のズレと根本原因
現代の統合階級(政治家・官僚・学者・マスコミ等)は、少子化対策として、金(児童手当など)、暇(育児休暇など)、サービス(保育サービスなど)を与えることしか考えていないようですが、これでは少子化問題が解決しないばかりか、財政破綻を加速することになりかねません。
少子化の本当の原因は、以下の2点だと思います。
1.個人主義の蔓延
・「個人主義→人それぞれ」では、積極的に子を持つ理由が見つからないのは当然です。
・「子は宝」etc周りからの期待がないと、どうしていいか「わからない」となるのも当然です。
→※女性が充実した生活を送るためには子供は必要か
2.セックスレス
・もうひとつ見逃せない要因は、男女の(性の)吸引力の衰弱。特に男の性欲の衰弱。
・男が自信喪失状態で(見通しが立たない)、セックスに対しても、母子を養っていくことにも積極的になれない、という事情があると思います。
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2006年09月12日
データーに見る日本の少子化対策のズレと根本原因
社会実情データ図録
「合計特殊出生率の推移」 より
まず最初のグラフから単純に読み取れるように、出生率は豊かさの実現と共に低下して行く、という流れは世界的な潮流と言えるだろう。よって、先進国共通で「少子化」は問題とされ、いずれも公的な少子化対策を行っている。例外として、出生率2.0以上を維持しているアメリカは、移民政策(参考:米国の将来人口推計)によるものであり、階層社会の上位だけを見れば恐らく少子化傾向は変わらないと思われる。
しかし、
「子供を増やす意向」についての調査データーを見ると、産まない・増やしたくない理由の一位は、各国とも「出費がかさむ」となっており、明らかに意識と現実とのズレがある事が解る。
先進国共通の傾向として、少子化の最大の原因は経済的負担とされ、日本においても少子化対策の充実が政策として重要視されているが、「少子化対策と出生率」の相関をまとめたグラフを見ると、実は殆ど相関関係が無いという結論が導き出される。
さらに、世界の人口動向を見ると解るように、今後も人口増加率は高まり、2050年には90億人を超えると推測されている。(国連の人口推定グラフ)
この世界的な人口爆発は、産業革命→市場拡大の始まった1900年以降に急激な増加率を見せており、貧富の格差拡大と同時に、貧しい国ほど多産多子、先進国ほど少産少死となっている事からも解るとおり、経済的負担は少子化の原因とは全く因果関係が無い事を証明している。
今後も市場拡大と共に世界的な格差が拡大し続ければ、少子化と人口爆発、という完全に矛盾を孕んだ人口問題に対する解決の糸口は絶対に見つからないだろう。
日本においても、これらの事実を元に、今後本格的に取り扱わなければならない議論の中核は、実は「福祉」という名の下で財政を圧迫し、少子・高齢化対策として無駄に消費され食い潰されていくGDP信仰の元で、毎年発行される多額の負債(国債や年金赤字)であり、
市場という仕組みそのものが破綻している現実に目を向ける事ではないだろうか。
さらに言えば、世界的に人口バランスの調整機能を失っている事も、市場拡大と同時進行して来た共同体の解体→個人(消費者)第一の社会となったが故の集団的本能の消失であり、その最後の砦としての「密室家庭」という聖域を崩さなければ、地球全体を覆う異常事態への答えを出す事は出来ないであろう。
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